1460回以上──。中村雅俊(64)がこれまで毎年欠かさず行なってきたコンサートの数である。年平均では30回以上になる。俳優との両輪ながら、それぐらい歌手活動にも本腰を入れ続けてきた。
ミリオンセラーとなったデビュー曲『ふれあい』から早41年。今年もまた、9月26日の東京・かつしかシンフォニーヒルズ公演を皮切りに、年末まで全国18か所でのツアーをスタートさせた。中村は、自身の歩みをこう述懐する。
「自分の原点を考えると、もともとは文学座の俳優として『われら青春!』の先生役でデビューして、歌の“う”の字もなかったわけです。ところが、代々の先生役である竜雷太さん、村野武範さんと、みんなレコードを出してきていた。歌の上手い下手は関係なく、じゃあ雅俊も出そうかというだけの話だったんです。そこで『ふれあい』と出会えたことには本当に感謝しています。あれがすべての始まりだった」
鮮烈なデビューを果たした中村は、その後、『いつか街で会ったなら』『俺たちの旅』(ともに1975年)といったドラマ挿入歌や主題歌を次々とヒットさせていく。その後大きなヒット曲に巡り合えない時期があったものの、『われら動物家族』(1981年・TBS系)の挿入歌『心の色』で、中村はある自信をつける。
「この歌は、すぐには売れず、発売して3か月後ぐらいに火がついた。そのときにすごく歌の持つ底力を感じて、這い上がってきたなあ、と感じたんです。『ふれあい』の一発屋で終わらず、また売れてよかったなというのもあったし(笑い)」
その1年後、歌手として大きな転換点を迎える。桑田佳祐から『恋人も濡れる街角』を贈られたのだ。『恋人も…』の2年前に発表されたやはり桑田佳祐作詞・作曲の映画主題歌があまり売れず、「もう1曲つくりましょう」といわれて提供されたのがこの楽曲だった。これによって、それまでの木訥とした好青年のイメージにエロスという妙味が加わった。
「あの骨太の曲がヒットして、世の中に歌手としての自分は浸透したのだと思う。自分自身も、世間の人の見方も、認識も変わりましたよね」
と中村自身も振り返る。