1941年生まれの俳優・藤竜也は、人から勧められるまま映画界に入り役者となったが、人気を得たのはテレビドラマがきっかけだった。映画に代わって影響力を増し始めた時代のテレビドラマについて藤が語った言葉を、映画史・時代劇研究家の春日太一氏の週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』からお届けする。
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藤竜也は1962年、有楽町でデートの待ち合わせをしている時に日活からスカウトされ、大学を辞めて映画界に入る。
「僕はドラ息子でしたから、先なんて考えたことはロクになかった。映画を見るのが好きだから、映画俳優になるのもいいんじゃないか。その程度です。最初は訳が分からないから、歩き方や芝居の仕方は石原裕次郎さんのマネをしていたんですが、できやしないんですよね。
何年かして、深刻さが分かってきた。大学を辞めて、このまま通行人の役ばかりやっていたらマズイんじゃないかって。
それで撮影がない時はセットを覗いて他の俳優の演技を見学したりしましたが、1シーンだけ見たって分かりゃしないんだよ。俳優というのは、自分の役を全て精密にデザインしてきているわけですから。それでも何かを分かろうと必死でした。
ヒゲを生やすようにしたのも、その頃です。顔がつまらないから、少しでもくっつければ、少しつまるかな、と。拙いことだけど、なんとか浮上しなくちゃと思ってやったんですよ。
通行人の役をしなくても済むようになってからは、撮影所にアクションの道場があって、仕事がない時はそこで殴られる稽古をしていました。撮影所にトレーニングに行っていた。何かしていないと、何をやってるんだか分からなくなって不安だから。体を痛めながら、次の仕事が来るのを待っていました。二か月も三か月も音沙汰のない状態で耐えるには、何かをやっていないとダメだったんです」
1971年、日活は撮影所を一時閉鎖して製作部門を大幅に縮小、ここで藤はフリーになる。そして1973年、久世光彦演出によるTBSドラマ『時間ですよ』で、毎回スナックの片隅に座る謎の男を演じ、人気を博する。