10月17日の箱根駅伝予選会で3位に食い込み、68回連続となる箱根出場を決めた日体大・渡辺正昭監督はこう意気込みを語った。
「ひとりひとりがチームプレーに徹して走ってくれました。本戦が楽しみです」
優勝10回という輝かしい実績を刻む日体大。2013年には予選会から即優勝という快挙を成したが、今回もその再現を目指す。だが、渡辺監督が口にした「チームプレー」を巡っては内紛劇が起こっていた。2013年に1年生ながら優勝メンバーに名を連ねたエースの山中秀仁選手(4年)が予選会直前に退部していたのだ。スポーツライターの酒井政人氏が語る。
「山中選手は昨シーズンに股関節と左ふくらはぎを故障して以降、調整に手間取っていた。学校側は、この故障を理由に“大学駅伝からは早期引退”と発表した」
ところが、引退の本当の理由は違った。山中選手は9月22日、自身のツイッターでこうつぶやいていたのだ(現在は削除されている)。
〈本日をもって日体大駅伝部を引退という形で去ることにしました!理由は監督のやり方について理解できなくなくてついて行く事ができませんでした!〉
渡辺監督と山中選手の確執の始まりは今年3月。今年の箱根駅伝で日体大は15位と惨敗しシード落ち。その責任を取る形で別府健至監督が退任し、その後任に招聘されたのが日体大駅伝部OBの渡辺監督だった。
渡辺監督は駅伝界では“名物指導者”として知られる。1993年に愛知・豊川工業の監督に就任すると、無名だった同校を14年間連続で全国高校駅伝出場に導いた。だが、2013年1月、部員に平手打ちなどの体罰を繰り返していたことが発覚。これにより停職4か月の懲戒処分を受け、翌年には同校監督を退いた。
「山中選手ら昨季までの中心メンバーの多くは、別府前監督を慕っていたため、就任時には“体罰監督なんて嫌だ”と反発が起きた。大学側は“再発の恐れはない”と説明したが、一部の選手は納得していなかったようです」(スポーツ紙記者)