山口組の分裂騒動についてマスコミの多くは、山口組と神戸山口組両陣営のトップである司忍組長と井上邦雄組長をクローズアップして分裂劇を報じている。だが一方で、抗争の当事者となる中堅組長や末端組員たちの声が、届くことはない。そんななか、ある組長の声なき悲鳴が轟いた──。フリーライターの鈴木智彦氏がレポートする。
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10月26日、長野県飯田市の組員銃殺事件に続き、山口組分裂で2人目の犠牲者が出た。
「死体が見つかった! 殺しかどうかわからん」
山口組は一気に色めき立ったが、ネットを当たると既に報道されていた。暴力団筋の伝達スピードが遅かったのには理由がある。事件ではなく自殺だったのである。
通報した男性が大阪・浪速区のマンションにある暴力団事務所を訪れたのは、午後0時20分頃だったという。寝室として使っていた和室に入ると、布団を敷き、寝間着姿の元倉本組三代目・河内(本名は川地)敏之組長が倒れていた。胸に銃創があり病院に運ばれたが、すでに心肺停止状態だった。右手近くにリボルバーの拳銃が落ちており、争った形跡はなかった。
河内元組長は、10月半ば、山口組を除籍になったばかりだった。三代目倉本組は奈良市に本部を置く山口組の実力派組織(二次団体)で、いわゆる直参組長である。山口組分裂後は定例会を病欠しており、本部には代理を出席させていた。実際、体調は悪かったらしい。
もともと倉本組の初代は、今回、山口組を離脱した宅見組の出身である。河内元組長自身も宅見組・入江禎組長に恩義があったという。
「自分が組長になれたのは入江さんのおかげだと、なにかにつけて話していた。ハートのある人で、義理堅い性格だった。入江さんからは、神戸に来ないかと再三誘いをうけていたと聞く」(山口組直参組長)
出るか、それとも留まるか……山口組にすれば、これ以上、二次団体単位で移籍されてはたまらない。結果、河内元組長は除籍となったが神戸側に移ることなく身を引き、倉本組自体は山口組にとどまることで、形としては円満に山口組を辞めた。だとすれば自殺する必要はないようにみえる。山口組関係者がいう。