この話は、現在の日本最大の社会問題であり、問題のバカでかさがゆえに、日本人はそこで思考ストップしているのだ。ドラマ『破裂』で官僚・佐久間は宣言する。
「お年寄りが望むなら国は望ましい死を保証する。プロジェクト名は、天寿」
似たようなことを考えたことのある人はいくらでもいるだろうが、こうした問題提起が地上波ドラマで堂々と扱われるようになった。そのことに、いよいよ抜き差しならない空気を感じるのである。
“プロジェクト天寿”を掲げたまではいいが、ドラマはこの先の話をどう展開させるのだろう。それはつまり国家的安楽死推進政策なわけで、そのまま実現させちゃったら、いくらフィクションとはいえ「放送事故」みたいなことになる。久坂部羊の原作小説『破裂』を読もうかと思ったが、オチが分かったら、このドラマはつまらなくなる。だから残り3回、放送をしっかり観ようと思う。
そのかわりというわけではないが、久坂部羊著『日本人の死に時』を読んでみた。2007年に初版が発行された新書である。『破裂』を書いた著者個人は、この問題をどう捉えているのか知りたくなったのだ。
『日本人の死に時』執筆当時の久坂部羊は、在宅医療専門クリニックに勤務、末期がん患者などの家を訪問し、療養のサポートや看取りをしている、とある。その前は、老人デイケアのクリニックに4年間勤めたそうだ。そのような経歴の医師として、副題「そんなに長生きしたいですか」と読者に問いかけたのが、この新書だ。
今読んでも内容のリアリティは薄れておらず、著者はこの本においても「天寿」を推奨している。〈私は長寿はよいと思いませんが、天寿は否定しません。与えられた寿命で、ほどほどに死ぬのがいいと思います〉という持論を展開。そして、ドラマ『破裂』の佐久間に近い問題提起をし、こう言っている。
〈老いて身体の不具合が出てから、無理やり命を延ばされても、本人も苦しいだけでしょう。そこで私は、ある年齢以上の人には病院へ行かないという選択肢を、提案しようと思います〉
例えば、60歳以上で身体に不具合が出て、治療して3カ月経ってもよくならないなら、〈さっさと見切りをつけるべきです〉と言う。結果、死んだら、それを「天寿」とする死生観が必要ではないか、と読者に問うのである。
思わず笑った。60歳まで、私には残り9年しかない。9年後には寿命が来ると覚悟を決め、それよりも生きたらオマケの人生くらいに考えればいい? それは無理だ。フリーランスだから退職金もないし、年金も僅かしか支給されない。働かなきゃ、食えないんだよ、という者だってたくさんいることを、分かっているのかこの著者は!と、少し腹も立った。
だが、肉体年齢的にはそういう歳なんだな、と、しみじみ思わされた。老いをリアルに考えたら、無駄な仕事はしたくない、という気にもなった。
著者は30歳くらいから「天寿」について考え、〈早めに今を充実させ、早めに満足を得る。そうすることで、泰然と死に時を迎えられる〉と言う。そうかもしれない。これは若いうちに知っておくといい話なのかもしれない。