読売巨人軍はその長い歴史の中で、たった1度しか最下位になったことがない。それは1975年、選手を引退したばかりの長嶋茂雄新監督の1年目に起きた。この唯一の汚点といえる年の状況と、船出したばかりの高橋由伸監督の現在が、不気味なほど酷似している。
今シーズン、巨人は内海哲也や阿部慎之助ら主力選手の高齢化や、リーグ最低の.243という貧打、フランシスコやセペダなど外国人選手が活躍せず、正捕手候補だった小林誠司も伸び悩んだ。それを踏まえて、1975年の巨人を振り返ってみよう。
監督に就任する前年の秋、長嶋は「わが巨人軍は永久に不滅です」の名台詞を置き土産に現役を退き、39歳の若さでV9を達成した名将・川上哲治監督の後を継ぐ。新監督はやる気満々だったという。
V9時代の遊撃手・黒江透修氏は当時、長嶋新監督の片腕としてコーチ補佐を務めた。
「この時代、金脈問題で追われた田中角栄首相に代わって、三木武夫内閣が誕生。クリーン三木がキャッチフレーズでね。ミスターはそれにならって“クリーンベースボール”というのを打ち出した。それまでの“石橋を叩いて渡る”川上野球と違う野球を見せようとして、自分の現役時代のプレーみたいに、カッコよく派手な野球をやりたかったんだと思います」(黒江氏)
開幕前は長嶋巨人もそれなりに戦えると思われていた。V10を目指していた前年の1974年は、優勝を逃してV10こそ達成できなかったものの、ゲーム差なしの2位。中軸を打つ王貞治は.332、49本、107打点で2年連続の三冠王を達成。投手陣も堀内恒夫が19勝、小川邦和が12勝、関本四十四が10勝を挙げるなど奮闘。そのメンバーがほとんど残っていたからだ。
しかし結果は47勝76敗7引き分け、勝率・382の成績で首位広島に27ゲーム差をつけられて、球団史上初、そして現在に至るまで唯一の最下位に沈む。ほんの2年前まで栄光の「V9」、日本シリーズ9連覇を成し遂げていたチームとは思えない凋落ぶりだった。
「ミスターと一緒に現役を退いたV9戦士は、僕と森(祇晶)さんだけ。名簿上は名前も実績もある選手がレギュラーに残っていた。でも現実はみんな年を取ってピークは過ぎていた。口の悪いのは“V9の出涸らし”なんていってたよ」(黒江氏)