私(評者)は最初、彼らが著者の取材に対して臆面もなく語る姿を想像し、疑問を感じ、じきにそれは嫌悪感に変わった。しょせん金で買った関係ではないか。親子以上も年の離れた女性を結婚相手に求めるなんてどうかしている。途上国の女性が相手だからそんなことができるのではないか……。
だが、読み進むうちに、彼らを非難するのは傲慢かもしれないと思い始めた。冒頭に登場する男性はこう言っている。
〈お金持ちは日本に住めるかもしれませんが(中略)貧乏人は途上国の方がええんとちゃいますか〉
裕福ではない彼らは、日本にいたら結婚も豊かな老後も得がたく、独居を余儀なくされる可能性が高い。その先にあるのは孤独死である。そんな彼らが、彼我の経済力の差を利用して、彼の地で幸福を掴もうとすることを非難する権利はあるだろうか。
実は、男性たちは多かれ少なかれ、女性との関係が金絡みであることを自覚しているようだ。だが、こんなケースもある。50歳の元大手企業のサラリーマンは、日本で作った借金から逃れるためにフィリピンに渡り、今はスラム街に住み、低賃金の工場労働者として働いている。そんな底辺の生活であるにもかかわらず、19歳の内縁の妻と暮らし、子供まで作っている。
〈「中高年の日本人男性と若いフィリピン人女性の関係=お金」という従来の方程式を根底から覆されるような(中略)「事件」と言ってもいいほどの二人の関係〉
そうした実例を突きつけられると、幸せとは何なのか、何が是で何が非なのか、単純に結論が下せなくなってくるのだ。
本書には他に、子供たちの家をたらい回しにされた末、厄介払いされたようにセブ島で独り暮らしをしている高齢女性、認知症の母親をフィリピン人のメイドと介護する夫婦などが登場する。それらが照射するのは、高齢者を巡る日本の厳しい現実である。
理屈以前に、著者が提示する事実の数々が衝撃的で、それだけで本書に引き込まれる。在フィリピン歴10年以上というジャーナリストならではの興味深い作品だ。
※SAPIO2015年12月号