どんな大物だろうと天才だろうと、人生の中では思い悩み苦しむことがあった。そんな時に光を照らし道を示してくれた恩師の思い出は、今も色鮮やかに心に刻まれている。サッカー解説者の釜本邦茂氏(71)が、そんな恩師へ感謝の言葉を綴る。
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私にとっての恩師は1960年にサッカー日本代表強化のために来日した、デットマール・クラマーさんをおいて他にない。最初の出会いは私が山城高(京都)の2年生の時だ。クラマーさんが京都代表の選抜合宿の指導に来られたのだが、その時のデモンストレーションの相手役に選ばれたのが私だった。
当時、世界最高峰だったドイツサッカーの技術を自らが手本になって教えてくれて、人間教育にまで言及する話に感動したのを覚えている。本格的に指導を受けるようになったのは、早大2年で東京五輪代表に選ばれた時だ。この時、最初にいわれた言葉は今でも忘れない。
「遅い! このままでは北海道の熊で終わるぞ」
私はフォワードでありながら、ボールを受けてからゴールへ振り向くスピードが遅かった。南米の選手は『1』、欧州の選手でも『1、2』でゴールに振り向くが、私は『1、2の3』とさらにワンテンポかかった。体の大きさと相まって、お前はまるで北海道の熊だというわけだ。
まずはこのスピードを上げることから始めた。海外のストライカーの映像や資料を見ながら、自分自身で考え、反復練習を繰り返して技術をモノにしていった。
結果、マークから離れて半身でパスを受けることで、スルッとゴール方向に振り向けるようになり、得点能力が格段に上がった。