人生には忘れることのできない存在が必ずいる。今の自分を作ってくれた恩師の姿は、温かな記憶とともに甦る。生活の党と山本太郎となかまたち共同代表の小沢一郎氏(73)が、恩師から学んだ大切なことを語る。
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恩師を1人だけ挙げるとしたら、おふくろですね。僕は政界で「壊し屋」と呼ばれているけれども、僕が壊そうとしてきたのは日本のアンシャン・レジーム(官僚支配の利権体制)そのものなわけです。自民党を飛び出してから四半世紀、これまで本当に山あり谷ありの政治家人生で、政権交代も2回実現させました。しかし未だ志は遂げておりません。まだまだ日本の旧体制は健在です。
それでも僕は全然へこたれていません。現在は小さな党の党首ではありますが、旧体制を壊し、新しい国民本位の政治を実現するまでは何度でも政権交代をめざし、この国に政権交代可能な議会制民主主義を定着させることをあきらめるつもりはありません。
思い返してみると、そうした僕を支えているのはおふくろの言葉なんです。
母の小沢みちは明治34(1901)年生まれで、とても忍耐強く、そして前向きな「明治の女」でした。僕が子供の頃、政治家だった父・佐重喜は東京にいましたから、郷里の水沢で母と2人で過ごすことが多かった。母にすれば、僕は末っ子の長男だから心の中では可愛かったのでしょうが、躾(しつけ)には非常に厳しい人でした。やんちゃをすると柱に帯で縛りつけられたり、雪の中、外に閉め出されたり、尻をひっぱたかれたりと。
その母親が折に触れて言い聞かせてくれたのが、「男の子は泣いちゃいけない」「言い訳をしてはいけない」「強い意思を貫いて絶対に志を曲げてはいけない」という三つの教えでした。20年ほど前(1995年)におふくろが亡くなったときは泣けて泣けて仕方がなかったけれど(笑い)。もちろん母の泣いちゃいけないというのは、「泣き言はいうな」ということです。
その教えは僕の心身に染みこんでいます。だから政権交代を実現し、それが短期間で失敗しても、一切、泣き言や言い訳をしようという気になりませんでした。特に意識しなくても、志を曲げなければ「なせば成る」と自然に前向きにとらえることができるのは母のお陰です。僕は他人の評価をしないし、悪口もいわない。それは言い訳に通じるからです。政治家は常に結果責任を自分自身で負わなければならないのです。