【著者に訊け】横田徹氏/『戦場中毒 撮りに行かずにいられない』/文藝春秋/1500円+税
今の時代、物を書いたり撮ったりして食べていくのは傍で見るほど楽ではない。まして命さえ危険に曝す横田徹氏(44)の場合、なぜ戦場を撮りに行かずにいられないのか、答えが出ないからこそ、本書『戦場中毒』は書かれたのだろう。
欧米側の正義がかえって混沌をもたらし、いかなる解釈も拒む戦場を、横田氏は〈麻薬〉と呼ぶ。例えばタリバン側・米軍側・国軍側と、立場を超えた従軍取材で10回以上訪れたアフガニスタンである。
〈ジャーナリストにとって、アフガンは麻薬だ。その名を聞いただけで拒否反応を起こすか、たった一度の経験が心身を蝕み、気がつけば中毒者になっているか〉〈この国には、一度足を踏み入れた者を虜にする不思議な力がある〉
別に死にたいわけではない。むしろ十全に生きたいからこそ戦地をめざす彼の衝動に、そもそも理屈など必要ないのかもしれないが。
〈間違っても報道カメラマンになろうなんて考えるなよ〉と、元報道カメラマンの実父は息子に釘を刺した。幼い頃、両親が離婚。24歳の時、突然連絡をよこした父をバンコクに訪ね、そこで譲られた1台のカメラが、横田氏の人生を一変させる。
「それまで何をしても続かなかった僕には、そこで見る全てが衝撃だったんですね。元射撃選手で胡散臭い風貌の父は〈好きなの、やるよ〉と言って銃を渡し、連れて行かれたのが軍の射撃場。夜の街でもやけに顔がきくし、良くも悪くも自由でヤバい人でした(笑い)。
そして僕が銃より夢中になったのが父の一眼レフで、父は危険というより食っていくのが大変だから、戦場はやめとけと言ったんだと思う。今になって息子を呼びつけた父には反発もあったけど、悔しいことに父の話が面白いんですよ。何より当時のバンコクのカオス的な空気が忘れられなくて、自分もこんな世界で生きてみたいと思ってしまった」
本書には以来、世界中の戦場を飛び回る氏の半生が、各時代の現地情勢と併せて綴られる。1997年に素人同然で乗り込んだカンボジアを始め、9.11を挟んだアフガニスタン、コソボ、ソマリア等々、資金が許す限りどこへでも出かけた。
が、危険と隣り合わせの毎日にさすがに疲れ、2003年にイラクから帰国後は愛知万博を撮るなど、経済的にも安定したが、何かが違う。そしてフランス外人部隊の取材中に機材一式を盗まれて困窮した横田氏は2007年、再びアフガン入り。その久々の感覚をこう書いている。〈最高に幸せだった〉と。
「僕は命知らずどころか、臆病なくらいなんですけどね。それでも、そうか、これが戦争なのかと、圧倒的な破壊力や生みだされる富の大きさを目の当たりにする感覚は、他に表現のしようがない。
日本では学校や家族に聞く戦争=太平洋戦争のことですが、僕が現場で見た戦争は全く違っていた。特に冷戦終結後は民族紛争や宗教戦争が泥沼と化し、子供や身障者を使った自爆テロも増えている。米軍によるタリバン掃討後、アフガニスタンの治安が安定したかというと必ずしもそうではないし、この先も彼らはその土地で生きていくわけですから」