そんな時に出会ったのが、もう1人の恩師である明大ラグビー部の北島忠治監督だ。八幡山の明大グラウンドで練習を見学していた時に声を掛けてもらい、練習に参加させてくれた。その時の約束は「1日でも休んだら二度とラグビーはさせない」というもの。私は約束通り、1日も休まず練習に参加した。
その時点での学歴が高校中退だった私に、高校編入の便宜を図ってくれたのも北島監督だ。明大に練習に来た目黒高校ラグビー部の梅木恒明監督に「預かってもらえんか」と頭を下げてくれ、翌日から私は目黒高校に通えることになった。もちろん目黒高校でもあまり勉強はせず、ラグビーに明け暮れた。そして明大に進み、また北島監督のお世話になった。
北島監督からは「正義」を教えられた。「正々堂々と戦え」、「汚いことをして勝っても意味がない」、「グラウンドに出たら自分自身がレフェリーになれ」、「日常生活ではキャプテンになれ」……私は全力プレーをモットーとしてきたが、それも北島監督の「相手に失礼がないように力を出し切れ」という教えからだ。このように北島監督には色んな人生訓を教わった。
考えてみれば、親父が学校と大喧嘩しなければ、ラグビーの恩師である北島監督に出会うことができなかったし、明大ラグビー部も目指さなかった。親父が私と北島監督の出会いを演出したともいえるわけだ。親父には感謝している。
そういえば親父からも人生訓を学んだ。「人が生きるのに一番大切なのは勘。勘のないヤツは成功しない」。とにかく変わった親父だったと思う。
●まつお・ゆうじ(スポーツキャスター)/1954年東京都生まれ。小学校からラグビーを始め、1975年に明大を初の日本一に導く。新日鐵釜石では1979年から選手、主将、監督兼選手として社会人選手権、日本選手権で不滅の7連覇を達成。
※週刊ポスト2015年12月11日号