2人の恩師の思い出を語る松尾雄治氏
人生には忘れることのできない存在が必ずいる。今の自分を作ってくれた恩師の姿は、温かな記憶とともに甦る。スポーツキャスターの松尾雄治氏(61)が、ラグビーの道へ進ませてくれた2人の恩師について語る。
* * *
私には恩師が2人いる。1人目は親父だ。名前を松尾雄という。私が雄治で、弟が雄吾、雄太、雄介。やけに「遺伝」を重んじるちょっと変わった人だった。
小さい頃から、親父には「勉強なんかするな。お前には運動しかない」といわれ続けてきた。それは親父が勉強ができず、お袋もそれに輪をかけてできなかったためで、その子供の頭がいいはずがないからだった。「勉強すると運動能力が落ちる」、「勉強で頭を使うとマイナス思考になる」と、まあ色んなことをいっていたが、とにかく「勉強ができないのは遺伝だ」の一点張り。
親父は立教大ラグビー部出身だったので、「鉛筆を持つ時間があればラグビーボールを持て。ラグビーの仲間さえいれば人にとって大切なことは学べる」が持論だった。
そのため私は、幼稚園から大学までエスカレーターで進める成城学園に入れられた。個性尊重の校風で、あまり勉強ができなくても進級できたからだ。しかし私が高校1年の時に急に学校の方針が変わり、成績が良くないと進級できなくなった。これを聞いた親父が怒ってね。学園長と大喧嘩し、私は退学になってしまった。まァ親父は私に教科書も持って行かせなかったのだから、そりゃダメだと思う(笑い)。
親父は「自衛隊でラグビーを続けろ」といい出したが、中学の卒業証書しかない経歴で受け入れてくれるはずもなく、しばらくブラブラしていた。