【著者に訊け】山田太一さん/『寺山修司からの手紙』/岩波書店/1836円
【内容】
1954年、寺山修司と山田太一さんは早稲田大学教育学部国語国文学科に入学、同級生として出会った。その翌年、1955年から1958年にかけて2人が交わした若かりし頃の貴重な手紙が収録されている。寺山はネフローゼにより長期入院を余儀なくされ、会えない時間を惜しむように手紙を書き連ねた。ほとばしる才能と、互いに相手を大切に思う気持ちが伝わってくる。山田さんは編者を務め、新たに「手紙のころ」というエッセイを寄せている。
寺山修司と山田太一。のちに文学や演劇、テレビの世界で大きな足跡をのこす2人が、ほぼ60年前、若き日に交わした往復書簡が出版された。互いを知ったのは昭和29年、早稲田大学のキャンパスである。
「何人かで雑談しているとき、自分に光を当てようと、ぼくが小野十三郎の詩を引用したんです。誰も知らないだろうと思ったら、寺山さんが次の行をすっと口にして。東京は油断がならないな、と思いました」
寺山に声をかけられ親しいつきあいが始まるが、無二の友はネフローゼで長期入院を余儀なくされる。
「病気になってこれまで通り会えないというのがショックだったんですね。ほかの人としゃべるよりずっと面白いし、話が通じるのは彼だけだったから。それなら病室に通っちゃえ、と(笑い)」
寺山の母から見舞いが病身に障ると叱られると、手紙を書いた。病室に顔を出して二言三言話して手紙を置き、また翌日、手紙を携え顔を出す。そんな日々が始まった。
この本に初めて収録される当時の寺山の日記には、「山田」の2文字が頻出し、親友の訪問を心待ちにする様子が痛いほど伝わってくる。
「メモのことは今回、初めて知って、こんなに書いてくれていたのかとびっくりしました。ぼくも、彼に会うのを切望していましたしね。2人とも一生懸命本を読んで、話したいことが山ほどあったので」
相手が好きな女性を、自分も好きになるという経験もしている。