1か月くらいで曲があがってきたので、聞いてみたんです。ちょっと沈んだトーンを想像していたんだけど、ぜんぜん違ったね。詞は前向きなんだけど、更に前向きなメロディーになっていて、やっぱり吉さんは天才だな、さすがだなと思いました。
曲のタイトル『桜のように』は俺がつけました。アンドレは海に散骨されたんです。散骨の骨が、桜のように見えたであろうという俺のイメージで。発売前に彼の実家にCDを届けに行ったら「息子は桜の花びらのように綺麗に散って、海に溶けていきました。力さん、よくわかってくれましたね」って、お母さんが喜んでくれてね。この曲を作って良かったなって思いましたね。
その後、編曲とかレコーディングがあって、9月16日にCDを発売したんだけど。その1か月前、曲自体はできあがっていたから、療養中の親父に聞かせようと、大分の田舎に帰省する予定だったんです。予定していた日の前日、妹から連絡が入って「おとうが亡くなった」と。「そうか…。明日、帰ろうと思ってたんだけどよ」って。
俺は、どちらかというと安楽死というものが日本で許されるなら、早く楽にしてあげたいと思っていた。本人が殺してくれって言うぐらい辛い状況でもあったし。親父からすると、子供に迷惑をかけるのは申し訳ないという気持ちがあったんだよ。
俺は30才の時に、首の骨を折って死にかけているんです。9時間半手術して、1年くらい仕事もできなくて、リハビリして。そのときに、このまま体が動かないままだったら死にたいと思った。首から下は動かないし、でも脳みそは普通なわけよ。天井しか見えないし、このまま生きていても迷惑をかけるだけだしなと思って。
そういう経験をしているからかもしれないけど、親父の気持ちもわかって。脳梗塞を3回患って、そのたびに親父は衰えていった。目も不自由だし、会話もほとんどできないし、チューブで栄養剤を入れているだけ。そのうち、殺してくれも言えなくなって…。
親父は83才でした。葬式・通夜の間中、『桜のように』とカップリングの曲『別れても離れても』を、ずっと流しました。親族はいい曲だと言ってくれてね。親父の気持ちは今となっては想像するしかないんだけど、きっと喜んでくれたかなって。
俺は俳優やってるから、仕事があったら親が亡くなっても葬式には行けないと考えていたけど、親父が亡くなったのはちょうど俺が休みで帰省しようとしていた時だった。死に目には会えなかったけど、きっとこの曲が、天国のアンドレにも親父にも俺を引き合わせてくれたんじゃないかって。そう思ってるよ。
【竹内力】
1964年1月4日生まれ。大分県出身。俳優、歌手。86年に映画デビューし、「難波金融伝 ミナミの帝王」シリーズで人気を博す。さらに、TV・CMをはじめ、吹き替えやナレーションなどさまざまなシーンで活躍。今年9月、シングル『桜のように』を発売し、演歌歌手としてもデビューした。自身の映像製作会社RIKIプロジェクトの代表取締役。