かつて学生運動などで日本の激動の時代を生み出した「極左」は、現在どうなっているのか。ジャーナリスト・野村旗守氏が解説する。
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日本共産党の方針やソ連のスターリン主義に疑問を抱いた若い共産主義者たちが、1957年に創設したのが「革共同」(日本革命的共産主義者同盟)という組織で、既存左翼を否定したため「新左翼」、あるいは「極左」とも呼ばれる。
この革共同から三度の分裂を経て誕生したのが、「中核派」(革命的共産主義者同盟全国委員会)と「革マル派」(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)だ。同根の両派が内ゲバを繰り広げ、数百人にのぼる犠牲者を出したのは昭和の史実である。
新左翼の全盛期は1960~1970年代で、両派の活動家は数万人いたと推定されるが、現在は中核派も革マル派も3000人前後とされている。しかも両派とも若い活動家はごくわずかで、60~70代の高齢者が中心である。
最近、メディアでよく登場するのが中核派だ。中核派は早くから大衆化路線を採り、マルクス主義を前面に出さず、反原発や反安保、改憲阻止、環境問題、格差是正などを訴える市民団体に浸透、あるいは活動家のプロ市民化をはかってきた。福島の原発事故を機に、反原発を掲げる団体を支援し、福島県内に拠点として診療所を設置するなど、活動を活発化している。
しかし、実際にはメディアが騒ぐほどの実態はない。
2014年11月に京都大学の熊野寮が中核派の監禁事件の関係先として家宅捜索された。機動隊員130人が動員され騒ぎになったが、寮生約400人のうち、実のところ中核派は10人程度に過ぎなかったとされる。2015年11月には同じく京大で、中核派が校舎を“バリ封”し、ストライキを決行したが、一般の学生が「迷惑だ」とバリケードを撤去してあっという間に終息した。