2016年、日本プロ野球は高橋由伸(巨人)、金本知憲(阪神)、アレックス・ラミレス(横浜)という3人の新監督を迎える。球界きっての智将・野村克也氏が名選手は名監督になれるのかという疑問に答える。
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最近の監督は、手腕ではなく、人気取りだけで選ばれているように思えてならない。特に今回の人事は、スター選手を据えれば観客も入るだろうという、安直な考えがどうしても透けて見えてくる。
だが、「名選手、必ずしも名監督にあらず」。これにもしっかりとした根拠がある。現役時代にスター選手だった監督、特にスラッガーだった監督は、攻撃野球を好む傾向が強い。ホームランが何本も飛び交うような、素人が見てもわかりやすい、派手な野球が好みだ。
言い方を換えれば、ただ打って走るだけの才能と技術に頼った粗い野球である。何かの間違いでハマれば確かに強いが、野球はそんなにうまくいくものではない。これでは到底、常勝チームなど作れない。
また、スター選手はその才能からデータを必要とせず、細かいチームプレーとも関係なくやってきた者が多いため、いざ監督になったら緻密な野球ができない。そればかりか、その必要性や重要性をまるで理解しようとしない。そのため有効な作戦が立てられないし、相手の作戦を読むこともできない。
そしてもう一つ。スター選手は自分ができたことは、皆もできると思い込んでしまっている。それを言葉に発してしまう。「なんでこんなこともできないんだ!」という言葉が、どれだけの選手を傷つけるか。思ったことは何でもできてしまうから苦労を知らず、そのため並の選手の気持ちや痛みがわからない。自分のレベルで選手を見るためにうまく指導ができず、言葉より感覚を重視してしまいがちなのだ。
苦労を知らない選手は絶対にいい監督にはなれない。私は2年半ほど二軍にいたことがあるが、これは今となっては良い経験だったと思っている。