反日感情を持つ人が少なくない中国で、生前に銅像が建てられるほど敬愛された日本人がいた。
「ゴビ砂漠の一部地域、中国の内モンゴル自治区で植林をし、さらに換金作物の栽培を指導して、貧しい地域の人たちの生活を改善した。それが遠山正瑛(せいえい)さんの功績です。江沢民から直接激励されたほど功績が認められた人で、中国で生前に銅像が建てられたのは毛沢東と遠山さんの2人だけだそうです」(日本砂漠緑化実践協会常任理事・田岡釟郎〈はちろう〉氏)
1906年、山梨県で生まれた遠山は、京都帝大で「砂丘地の特殊環境と適応作物の研究」と題した論文を書いて博士号を取得、砂漠でどう作物を育てるかの研究を続けた。戦後すぐ鳥取大学で教鞭を執っていた際には「砂丘で作物が採れたら太陽が西から昇る」と罵られたこともあったが、研究の成果が出て砂丘で長芋の栽培に成功。今では鳥取県の名産品となっている。
遠山にとって、中国での砂漠の作物栽培研究はまさにライフワークとなっていた。戦前から国費留学生として取り組み、途中日中戦争などによる中断を挟んで、腰を据えて研究再開できるようになった1979年には、すでに70歳を過ぎていた。
中国では毎年東京都の面積ほどの土地が砂漠化している事実から、「このままいくと食糧問題に悩まされる」と考え、砂漠での農業を指導。寧夏回族自治区内の砂漠でブドウの生産を成功させた。その後、内モンゴル自治区の恩格貝(おんかくばい)地区をポプラで緑化する計画に取り組んだ。
「最初は葛(くず)の苗を植えたのですが、一晩たったら全部なくなってしまう。調べてみると、よその牧童がヤギに食べさせてしまっていた(笑い)。そこで、ヤギに食べられないポプラにしたそうです」(同前)
遠山は、砂漠化は人間が招いたことであり、人間が解決せねばならないとの信念を強く持っていた。また、中国で緑化活動を行なうことは、遣隋使、遣唐使の時代に我が国に文化を伝えてくれた中国への恩返しにもなると考えたようだ。