正月の恒例行事といえば、箱根駅伝。毎年、中継を固唾を飲んで見守るというファンも少なくないだろう。箱根駅伝が開始した年は1920年だが、完全生中継が始まったのは1987年だ。
その箱根駅伝完全生中継生みの親は、元日本テレビプロデューサーの坂田信久さん(74才)。生中継実現には大きなドラマがあったというが、本人から箱根駅伝に込めた思いやその中継の舞台裏について聞いた。
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入社1年目に箱根駅伝を取材して、素晴らしいレースだと感じ、中継をしたい! と思いました。お正月はお笑い番組や歌番組ばかりだから、そうしたなかで若者のはつらつとした姿を放送すれば、そのレースに感動する人は絶対にたくさんいると思ったんです。
でも、当時は技術が追いついていなかった。200kmを超えるコース、ましてや山の上を走ります。電波というのは、葉っぱが1枚間に入っても遮られてしま う。箱根の山をテレビが制することは不可能に近かった。だからこそ、中継したい、という私の思いは20年近く心の中にずっとあるものだった。
そうした中で、技術も進歩し、同時にマラソンブームが起きて、イベントの数も中継の数も増えました。そこで考えたのが、今も続いている「今昔物語」。うまく中継できない区間の間はそれまでの過去の話や、出場選手の秘話などを流そう、と思い当たりました。箱根駅伝というのは、感動する話やドラマチックなことが詰まっている。
それを事前に取材、編集してつなごうと決めたんです。そして1986年の春に企画書を 出し、6月に実現することが決まりました。“箱根駅伝は関東の大会じゃないか”という声も上がりましたが、それは違う。走っている選手は全国から来ています。その出身地もしっかり字幕を入れる、そうすることで出身地の人も喜ぶ、そう言って説得しましたね。