竹田氏の訃報は、ツイッターで知った。夜の7時頃、たまたま目にとまり、何の言葉も出なかった。タイムラインには、おくやみのツイートがどんどん流れてくる。自分も何か言いたいのだが、何か言ったら違う気がする。
「合掌」「お悔やみ申し上げます」「残念です」「まだまだ若すぎます」「闘病生活お疲れさまでした。安らかにお休みください」……みんなの言葉に違和感があるわけじゃないのだけれど、自分の気持ちではない。たぶん私は、俺と似たような仕事をしている同い年の51歳がくたばるんじゃねえよ!と、怒っていたのだろう。
でも、重篤なすい臓がんを患っていたことは知っていたし、竹田氏とは一度会ってみたいと思いながら、面識のないままだった。客観的には、ただツイッターのアカウントをフォローさせてもらっているだけの関係だった。それで自分の感情をぶつけるのは、常に冷静で客観的で大勢に流されない言論人であろうと自身に課していたと思われる竹田氏の霊前ですることではない、と感じられたのである。
だから、何も言わず(書かず)、ひたすら竹田氏のツイートを遡っていき、彼らしい、彼にしか言えないつぶやきだと思ったものをリツイートし続けた。それも私自身の気持ちをなだめる作業にすぎないのだが、こういうときに少しでも、こんな大したジャーナリストが同時代にいたんだよ!と、広めたかったのだ。3時間か4時間か、遡れなくなるまで竹田氏の過去のツイートを見まくり、20本だか30本だかリツイートした。それで、ほんの少しだけ供養をさせてもらったような気になれた。
SNS歴は短いほうだが、これまでこうした「つながり」の喪失を幾度か体験している。直接面識はない相手なのに、自分の中でいつの間にか「知り合い」になっている人が増えていることを、こういうときに感じる。そして、その喪失感は、直接の知り合いを失った時と同等以上に大きなものであることもありえると、はっきり感じさせられる。
14日の夜10時現在で、竹田圭吾氏のツイッターアカウントは、生前のときのまま見ることができる。竹田氏はご自身の死を覚悟していたはずだ。自分が亡き後、アカウントをどうすることにしていたのだろう。止まったままでいいから、ずっと残してほしい。この国際ニュースはどう考えたらいいか、自分が患った病気とどう向き合えばいいのだろう、となった時に、お参りさせてもらう永久保存版として。