たとえSNSでのつながりしかない人でも、大きな喪失感を抱えるときがある。コラムニスト・オバタカズユキ氏の実感である。
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たとえば、新聞社のサイトでおくやみ記事を拾ってみる。報道日ごとに遡っていくと、こんな並びになる(朝日新聞デジタルより)。
〈1月14日〉
・駒沢大名誉教授の田中良昭さん死去(12日死去)
・落語家の桂春団治さん死去 上方落語の「四天王」(9日死去)
・広瀬方人さん死去 「長崎の証言の会」代表委員(13日死去)
〈1月13日〉
・元ダイヤモンドリース社長の藤田勝久さん死去(昨年12月25日死去)
・作曲家のはやし・こばさん死去 「千と千尋」の河の神役(11日死去)
〈1月12日〉
・元防衛事務次官の吉野実さん死去(9日死去)
・元日産車体会長の上村聡さん死去(7日死去)
・元日本ビジネスコンピューター会長の谷口数造さん死去(4日死亡)
・ダイニック常務の君塚明さん死去(10日死去)
・ぴあ矢内広社長の母・キクさん死去(9日死去)
・中原恒雄さん死去 元住友電気工業副会長(8日死去)
この3日間だけでも訃報が11件あった。定期購読紙の社会面の下のほうをしばしば見ているから、毎日のように著名な誰かが亡くなっていることは今さら驚くまでもないのだけれど、こうしてネットでまとめて確かめると、イメージ以上にその人数が多いものだと思う。
上記した訃報の場合、亡くなった翌日に報じられたケースもあれば、数週間経ってからのケースもある。11名のうち、90代で亡くなったのは3名、80代が7名と高齢の方がほとんどだが、ダイニック常務の君塚明氏は享年64。早すぎる死といえるだろう。
ただ、個人的には、上記のうちショックを受けた訃報はない。大変身勝手な話ではあるが、そもそも存じ上げなかった方や、お名前だけ知っていた方が亡くなっても、深く感じるものはない。その方の訃報が全国紙に載るような著名人であっても、つながりがなければ匿名的な存在なのである。当然のことかもしれないが、世界は自分の知見の中にしかないのだな、などと思う。
訃報をもう少し遡りたい。1月11日と10日には、4名の著名人のおくやみ記事が流れた。
〈1月11日〉
・英歌手デビッド・ボウイさんが死去 がん闘病の末に(10日死去)
・声楽家の中沢桂さん死去 オペラ「夕鶴」つう役(10日死去)
〈1月10日〉
・ジャーナリストの竹田圭吾さん死去 がん公表しTV出演(10日死去)
・元広島スカウト部長、村上孝雄さん死去 緒方監督ら発掘(8日死去)
バン! バン! と2発銃弾を食らったかのような衝撃だった。熱心なファンではなかったが、デビッド・ボウイは中高校時代にグラムロックという甘美な表現の存在を教えてくれたシンガーであり、大学受験浪人時代に上映された『戦場のメリークリスマス』の英陸軍少佐役では、坂本龍一とのホモセクシュアルなからみで、まだまだ理解で出来ない世界がいっぱいあることを示してくれた役者であった。思春期・青春期に影響を受けた人物の死には、自分の内臓の一部分を抜き取られたような喪失感がある。ショックだった。
が、その先日にもっともっと衝撃的な喪失感を味わったばかりだったので、実は「えっ……」と絶句する以上のものにはならなかった。亡くなったその日にニュースとなった竹田圭吾氏の死のショックが尾を引いていたからだ。