「西の伊勢参り」と「東の奥(出羽三山)参り」──。江戸時代、人は一生に一度、三重・伊勢神宮と山形・出羽三山を訪れることが重要な人生儀礼とされた。なぜなら、そこは祖先の霊魂や自然の神々が鎮まる山として古くから信仰を集める修験道の霊山だったからだ。生と死と再生の地・出羽三山。その神秘の聖域を、写真家・小澤忠恭氏が案内する。
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出羽三山は、山形県庄内平野を縁取る月山、湯殿山、羽黒山の総称である。古代狩猟採集時代から、山々の自然物には神が宿るとされた自然神信仰の場だった。のちに仏教が伝わり、国家中央の意思が都から遠く離れたこの地に及ぶと、人々はこれを受け入れ、出羽三山は神と仏を一体の存在とする神仏習合の聖地となった。
だが、明治新政府は国の近代化とアイデンティティの確立のため、各地で多様な形で成立していた自然神信仰を統合し、国家神道を国教とした。その結果、自然神と融合していた仏教を分離する(=神仏分離)。出羽三山にもその波は押し寄せ、国家神道への改宗を迫られた。しかし、庶民の山への信仰が消えることはなかった。人々は押し付けられた教義よりも自然神を畏敬する。これは今も日本人の持つ特性なのだ。
古来、羽黒山で現生の幸せを、月山で死後の極楽浄土を、湯殿山で生まれ変わりを人々は願ってきた。月山や羽黒山の山頂には素晴らしい絶景が広がる。しかし、その本当の秘めたる聖地は各山の深い谷、行者たちが分け入ってきた世界にあった。開山から1400年余り。山には今も多くの修験者や参拝者が訪れる。
撮影・文■小澤忠恭(写真家)
※週刊ポスト2016年1月29日号