SMAPの5人のうち中居正広(43才)など4人がジャニーズ事務所を離脱し、木村拓哉(43才)が残留すると報道されたSMAP空中分解騒動。SMAPの育ての親である元マネジャー・I氏(58才)が、ジャニーズ事務所を退職することに端を発したこの騒ぎだが、I氏とはいかなる人物なのか。
I氏は幼い頃から生活の中に音楽がある環境で育ってきたという。
「Iさんは東京の山の手の出身だそうです。お父さんは大手のレコード会社に勤めていて、お母さんはピアノの先生。絵に描いたような音楽一家に生まれ育ちました。
そんな両親の影響もあったのか、幼い頃からクラシック音楽から流行りのポップミュージックまで、幅広い音楽に触れてきたそうです。今と違ってアイドル歌手に興味はそれほどなく(笑い)、いいところのお嬢さんといった雰囲気でした」(I氏の知人)
ジャニーズ事務所入社は今から30年ほど前のこと。音楽関連会社への就職を探すなか、父親の知人の紹介でメリー喜多川副社長(89才)に出会ったのがきっかけだったという。
「彼女はすぐにメリーさんに気に入られました。アイドル好きのミーハーではないし、他の女の子たちとキャピキャピつるむタイプでもない。それでいて愚痴をいわずに言われた以上の仕事をこなすタイプでした。当時のジャニーズのマネジャーは100%男性。それでIさんはデスクとして入社しました」(前出・知人)
ジャニーズ事務所における「デスク」とは、事務所内に常駐し、電話連絡やデスクワークなど事務的作業を担当する係。I氏もそんな仕事を手伝っていたという。
「仕事ぶりは際立っていました。ただ、デスクには女性が多く、目立ちすぎてしまったからか、人間関係がうまくいっていなかった。入社した当時はぽっちゃりとした体形だったそうですが、数年でみるみるやせてしまったそうです」(前出・知人)
当時、ジャニーズ事務所は「光GENJI」人気の全盛期。彼らに続き、超えていくアイドルをいかに作り出すかが事務所内の課題でもあった。
とはいえ音楽業界には逆風が吹いていた。1989年に『ザ・ベストテン』(TBS系)が、1990年には『歌のトップテン』(日本テレビ系)、『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)が終了するなど音楽番組が次々に姿を消していた時代だ。
そんな中で結成されたのがSMAPだった(1988年)。デビューまでは3年もかかった。