日本で初めて美術館で開催された「春画展」が大盛況のなか幕を閉じた。江戸時代の性風俗が、芸術と持て囃される現代、性表現はどこに向かうのか。このたび『性のタブーのない日本』を上梓した作家・橋本治氏に話を聞いた。
* * *
かつての日本人にとって、恋とは「やる」ことだった。つまり、セックスです。『古事記』や『源氏物語』などの古典を読めば明らかですが、江戸時代まで、日本に性のタブーは存在しなかった。
『源氏物語』の中で、光源氏は何度となく夜、女の部屋に忍び込み、合意なしにやっちゃっています。今でいう強姦ですね。この時代の「逢う」「見る」という言葉は、イコール性交渉ですから。にもかかわらず、否定的な書かれ方は一切していない。
平安時代、貴族階級の女は、顔を見せないことを原則にしていたので、男は顔も知らないまま性行為に及ぶわけです。当時、オッパイに触ることは、性行為の中に含まれていません。その証拠に、春画では、性器は着色してありますが、乳首や乳輪には色がない。関心が低いわけです。もっとシンプルに、穴があったら突っ込め、なんです。
ただし、人妻が他の男性と肉体関係を持つと姦通の罪に問われたように、モラルは存在していました。喜多川歌麿や葛飾北斎などの春画が変名で描かれたり、無署名なのも、浮世絵師の中にイヤらしいことを描いているという羞恥心があったせいでしょうね。タブーはなかったけど、道徳観は持っていたわけです。今と逆ですね。現代はタブーはあるけど、モラルはほとんど失われてしまった。
相手の顔を見て、恋に落ちて、手紙を書いて、せっかく会えても手も握らない……なんてまどろっこしい恋愛は近代以降、西洋から入ってきた文化です。