日本で初めて美術館で開催された「春画展」が大盛況のなか幕を閉じた。江戸時代の性風俗が、芸術と持て囃される現代、性表現はどこに向かうのか。このたび『性のタブーのない日本』を上梓した作家・橋本治氏に話を聞いた。
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今でも性表現を芸術だと主張するアーティストはいますが、性表現に必然性があって、こだわりがあったのは1960年代半ばから70年代半ばの約十年だったと思います。武智鉄二が映画『黒い雪』で猥褻罪で訴えられ、大島渚監督の映画『愛のコリーダ』が猥褻論争を引き起こしました。
もう、あの時代で、ほとんどやり尽くしている。175条(猥褻罪)が存在する限り性表現は終わらないと言う人もいますが、もはや行き着くところまで行っちゃったでしょう。
ネットで簡単に無修正動画が見られる時代になり、改めて性のモラルが問われていますが、それ以前に、ビデオカメラやデジカメが普及したことで性道徳のひとつが大きく崩れました。
フィルム写真の時代は現像所に出さなければならないので、いわゆる猥褻画像は撮れなかった。でも、今は誰もが簡単に撮影し、所有できてしまう。そうしてエロ動画を見ただけで完結するようになり、性欲の処理に困ることは少なくなりましたが、その代償として、養老孟司さんがよくおっしゃっているように、男たちがどんどん「脳化」してきて、下半身による運動的快楽を求めなくなってしまいました。
最近の若い子は、オスっぽさがあまり感じられないですもんね。男が「草食化」する一方、逆に、女はポルノ好きになってきています。今、ポルノ小説を書いている人は、ほとんど女流作家ですよ。何かと話題になっている春画も女性の方が受けがいい。
だから、女性誌や一般誌で春画特集をやることはあっても、若い男性が読むような『週刊プレイボーイ』ではやらないんです。根本のところでは春画を芸術だと思って眺めている人なんて、いないと思いますよ。外国人はわからないですけど。