「この映画が演技の小細工を考えた最初だね。監督に『こうしたい、ああしたい』と提案したら、ほとんどがOKで。だから好き勝手にやった。『肉弾』では主演男優賞をもらったけど、自分の中では監督の操り人形という感覚があった。でも、『赤毛』は自分が役というものに目覚めて、いろいろと工夫したから、自分としてはこっちで賞が欲しかった。
この時期になると、段々と演じることが面白くなってきたから、できないながらも何かをやっていきたいという想いが芽生えるようになっていたんだ。
『赤毛』が縁で劇団を辞めて三船プロに行ったの。三船さんも『来い』と言うし、岡本さんに相談したら岡本さんも『三船ちゃんの所に行った方がいい』と。でも、『来い』と言う割にはマネジメント体制もなくて、マネージャーもいなくてね。
三船さんは気遣いの人だった。当時、俺はATG新宿文化の映画がハネた後で夏八木勲、石立鉄男、伊武雅刀、吉田日出子とかとアンダーグラウンドの芝居をやっていて。『リチャード三世』を現代風にやってみようということで稽古をしていたら、三船プロのプロデューサーがやってきて『社長がこの間イギリスに行ってきたんだけど、「寺ちゃんにこれを渡して」って言うんだ』って。それがシェイクスピアの生家とかの観光パンフレットで。
芝居の参考にはならないんだけど、『何かに役立てば』って、気を遣ってくれたんだ。かつての大スターはみんな、そういう繊細さがありました」
撮影■藤岡雅樹
※週刊ポスト2016年2月12日号