【著者に訊け】森健氏/『小倉昌男 祈りと経営 ヤマト「宅急便の父」が闘っていたもの』/小学館/1600円+税
〈宅急便の父〉ことヤマト運輸の2代目社長・小倉昌男は、〈人の親〉でもあった。森健氏の第22回小学館ノンフィクション大賞受賞作『小倉昌男 祈りと経営』では、この伝説的経営者の私生活や家庭での横顔に、あえて紙幅の大半を割く。
2005年、享年80で逝去した小倉に関しては自著・評伝共に多数刊行され、〈論理と正義の人〉として知られる。だが生前の小倉に取材した経験もある森氏は、晩年「ヤマト福祉財団」の障害者支援事業に時価46億もの私財を投じ、末期癌の闘病中にわざわざ渡米してまでロスの長女宅で最期を迎えた小倉に、どこか唐突さを拭いきれなかったという。その謎を解くカギは彼の家庭にあった。娘の反発、妻の死等々、しかし〈どんな家にも問題はある〉──。
「1998年に航空自由化に関して取材した時の小倉さんは、新規参入組と既存大手の格差を論理的かつ、意外にボソボソと批判する清廉な方でした。夫人の死後、彼女の郷里に1億円もの寄付をしたのも、いかにも愛妻家らしいと言う人は多い。
ただ、今ならビル・ゲイツが財団を作っても驚きませんが、ヤマト財団の設立は1993年です。なぜ子供に残さずに財団なのかという素朴な疑問をもち、財団や福祉関係者から取材を始めたら、いつのまにか家族の話になっていたんです」
小倉は福祉の現場に経営感覚を持ち込み、1998年にはリトルマーメイド等を全国展開するタカキベーカリーの協力を得て、同社のパン生地を仕入れて店先で焼くスワンベーカリー1号店を銀座にオープン。〈障害者の月給を一万円から十万円〉に上げることを目標に掲げ、見事達成した。
また、1991年に亡くなった玲子夫人がマザー・テレサに憧れていたことや、自身もカトリックに改宗したことなどは自著などに書いている。しかし、なぜ障害者なのかについては、はっきりした動機はありませんと言葉を濁し、語ることはなかった。
森氏はまず財団関係者ら、小倉と親しかった人々から取材を進める。当初警戒していた彼らが、「君なら話していいか」と、女性関係なども小出しに匂わせたりする信頼関係の変遷も面白い。
そうして名探偵よろしく証言を予断なく積み上げていく森氏に、ある人は、夫人の死に際してなぜ小倉があれほど泣き崩れ、口を閉ざしたのか、今もわからないと言ってこう続けた。
〈その語らなかったところに、小倉さんの本当の思いがあったのかもしれません〉
「人にはいろんな面があって当然ですが、小倉さんの謎はなぜ隠したかに尽きる。彼には、家族に関して誰にも相談ひとつせずに墓まで抱えて行こうとした秘密があった。結果的に墓を暴くことになった僕を恨んでいるかもしれません。ただこうして本にできたのは、周囲の思い、娘の真理さんや弟の康嗣さんの理解があったからで、何より小倉さんが愛されているからです」