韓国の対日外交を振り返れば、日本側に歩み寄ったように見せてはそれを覆す「裏切りの歴史」だ。国交回復から半世紀。日本を振り回し続けた韓国を産経新聞ソウル駐在客員論説委員の黒田勝弘氏が斬る。
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戦後、日韓間での最大の“裏切り”は1965年の国交正常化条約の無視だろう。とくに過去の財産や権利などにかかわる“補償”について、条約で「完全かつ最終的に解決された」と宣言し合った(日韓請求権協定)にもかかわらず、韓国は慰安婦問題や徴用工問題を持ち出し補償要求を蒸し返してきた。
慰安婦問題は、昨年末の合意で「最終的かつ不可逆的に解決」と発表されたが、条約でさえ守られなかったのだから、政権が変われば合意発表という“口約束”を無視することなど簡単だろう。
韓国(朝鮮半島)に対する日本の支配・統治は植民地支配といわれるが、国際的に“植民地補償”などという概念は存在しないし前例もない。韓国の当局者は当時、どういう名目で日本から金を得るかに苦労したことを述懐している(拙著『韓国人の歴史観』文春新書、参照)。
結果的に「請求権資金」として、5億ドルが日本から韓国に提供された。交渉過程で日本側は個人補償にも言及したが、韓国側は「国がまとめて受け取る。個人補償は韓国政府が責任を持つ」といってそうなった。したがってその後の個人補償問題については「韓国政府に要求してほしい」といえば済む話なのに、韓国は卑怯にもそれを韓国国民に説明せずに日本政府に“ツケ”を回し続けたのだ。
それでも日本政府は、韓国人原爆被害者やサハリンの残留韓国人の支援要求に対しては協定外の“人道支援”としてかなりの資金を提供した。そこで慰安婦についても人道支援として「アジア女性基金」の形で資金を出したが、韓国政府は「人道支援では受け取れない」という慰安婦支援団体の反日強硬論に押され、日本に対し要求を蒸し返した。