俳優の寺田農の役者人生に大きな変化をもたらしたのは、俳優でコメディアンの故三木のり平との出会いだった。出会い、共演時の思い出、師匠としての三木について寺田が語った言葉を映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』からお届けする。
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寺田農は1970年のNHK時代劇『男は度胸』で三木のり平と共演している。
「それまで、役者を突き詰めて考えることはなかったから、すぐ飽きちゃうんだ。なんたってアマチュアだからね。青春ドラマも少し出たら飽きるし、『肉弾』で主演しても映画も飽きる。
そんな時に『男は度胸』で三木のり平先生と共演した。それで、翌年にそれを舞台にした『俺は天一坊』っていうのに出ないかと、のり平先生に言われて。
こっちは新劇で、マゲものを舞台ではやったことがないからね。親友の古今亭志ん朝がのり平先生の一番弟子だったから電話で相談したら『絶対にやれ。これを断ったら絶交だ。全部俺が面倒みてやるから』って言ってくれて、それで出ることになった。
この時に、役者ってこんなに凄いんだと初めて思ったんだ。小野田勇先生の脚本だから出来上がりが遅くて、稽古は満足に出来なかった。初日は11時開演なのに、10時過ぎまで稽古が続いているわけ。客入れする時間になっても緞帳を下ろして、その中でのり平先生が口立てで芝居をつける。
それでも何とか30分遅れで初日の幕は開いたんだけど、のり平先生が舞台に出てくると大爆笑で劇場中が揺れたんだよ。その時、『ああ、これが役者なんだ』と思った。そこからなんだ。『役者もオモシロいなぁ』となったのは」
その後、寺田はのり平に弟子入り、1999年にのり平が亡くなるまで、共に舞台に立ち続けた。