2015年2月20日、川崎市の多摩川河川敷の公園で、当時中学1年生・13才だった上村遼太くんが遺体で見つかった。死因は、首などをカッターで43カ所を切りつけられる暴行を受けたこと。そして、この凄惨な事件で逮捕されたのは、不良グループの少年18才のAと、17才の少年B、Cだった。
少年3人たちの供述で明らかになったのは、あまりにも恐ろしい残虐な手口だった。それに対して、判決は「懲役9~13年の不定期刑」。上村くんを知る誰もが、“刑が軽すぎる”とやりきれない悲しみを覚えた。
Aへの求刑は10~15年だったが、判決は、それよりも軽くなった。担当した裁判員は判決後の記者会見で、「被告の事情や少年法のことなど事件を全体的に見ることができた」と言うなど、Aの生い立ちなどが考慮されたこともうかがえる。
事実、「父母による生育環境は大きな影響はあった」と主張していたAの弁護士は、判決後、「裁判所にこちらの主張を充分理解していただき、フェアに判断していただいた」と話した。
しつけとして日常的に体罰を受けていた、暴力を受けて育ったから暴力以外のトラブル解決能力が培われていなかった――。
そんなAの生い立ちが、判決に影響を及ぼしているとしても、この判決は本当に妥当だったのか? 中学1年生の娘を育てる東京都の主婦も、「あれだけ残酷なことをして、それだけなのか」と首をかしげる。
「去年手記を出版して話題になった“元少年A”なんて、あんなに少年法に守られたのに、更生しているとは思えません。今回の少年だって本当に更生するんでしょうか」
事件取材に詳しく、『「少年A」被害者遺族の慟哭』(小学館)の著者で、ノンフィクションライターの藤井誠二さんは「今回の個別の件に関して量刑が軽い重いはいえない」としたうえで、こう話す。
「どんな少年でも成人でも、裁判において育った環境は考慮され、無視はできません。ただ、環境は1つの材料であって量刑を軽くする材料に何でもするべきではなく、やったことの責任はとるべきだと思います」
1997年に神戸市で起きた連続児童殺傷事件の犯人で当時14才だった少年は、家庭裁判所の審判を受け、医療少年院に送致され8年後に退院している。また、2014年に長崎県で起きた佐世保女子高生殺害事件は記憶に新しいが、同級生を殺害し遺体を切断した当時15才の少女に、家裁が決定したのは神戸の事件同様、医療少年院に送致する保護処分だった。これで法的には“罪を償った”ことになる。でも、法律上そう決まっていても、感情は収まらない。