【著者に訊け】天童荒太氏/『ムーンナイト・ダイバー』/文藝春秋/1500円+税
『永遠の仔』、『包帯クラブ』、『悼む人』等々、天童荒太作品は「媒体」を思わせる。単に部数や映像化の問題ではない。小説そのものが同じ境遇や傷を持つ人々の社会的受け皿と化し、作家自身、刊行後もその痛みと向き合ってきた。「なぜそこまで……」と思うほどに。
そんな天童氏が、東日本大震災から約5年が経つ今、『ムーンナイト・ダイバー』を上梓したことは、どこか得心がゆく出来事ではある。主人公〈瀬奈舟作〉が潜るのは、〈あれ〉から5年目の東北の海。彼や地元の漁師〈文平〉が〈光のエリア〉と呼ぶ、福島第一原発らしき建物が見える沖に、満月や立待月の月夜を選んで漕ぎ出し、海底に沈む誰かの宝物を誰かのために探す。それは舟作と文平、発案者の〈珠井〉と会員だけが知る秘密の仕事だった。
〈なぜ潜る〉〈禁を侵せば、罰せられるかもしれないのに〉〈だからこそ潜るのだ。誰も潜らないから、誰かが潜らなければいけない〉
本書では舟作が潜る海も、さらに北にある故郷の港町も、あえて特定されない。
「理由は2つあって、地名を特定して住民の方が傷つくのは避けたかったこと。今1つは生存者の罪悪感は、サバイバーズギルトの問題にしろ、被災地に限らない普遍的な問題だからです」
当初は震災を小説に書くつもりはなかったという。
「僕は小説家を常々不遜な存在だと思ってますから。ただ我々は震災直後こそ、経済効率を優先した社会の在り方を見つめ直し、人と人が繋がる契機ともした。しかし1年も経たずにそうした意識は失われ、むしろ以前にも増した他者排斥の競争格差社会に進んでいる気がしてならないんですね。
そんな風潮を見るにつけ、これこそがモラルなき競争や偽装に人々を駆り立てる見えない震災被害だと思うに至った。つまり、時と共に忘れられていく被災地の姿や、忘れようとする自分自身に、『つらい立場にある人間は結局、忘れられる』と強迫観念を覚えた結果、目先の損得や自分を守ることに躍起になる社会の象徴として、あの大震災を捉え直そうと思ったんです」
目に見えないものを形にできるのが小説の強みだとも氏は言う。地上の目に見える復興ではなく、海に沈んだ人々の生活の痕跡を月夜に探す舟作の造形もそこから着想され、まずは自身、ダイビングを習い始めた。
「以前、『悼む人』を書いた時に自分でも各地を悼んで歩いてみて、その人を知れば知るほど早くは歩けなくなる感じとか、皮膚感覚の大事さを痛感したので」
幼い頃、舟作は兄〈大亮〉や友達と〈化石〉を探して遊んだ。今から4億年前のサンゴの化石が付近の山で出土したと聞いて宝探しに行くのだが、舟作は昔から山と海の匂いを嗅ぎ分けるのがうまかった。しかしなぜ海の化石が山にあるのだろうか。
〈大昔ここは海で、地震で山になったんだ、だったらまた海にもどることもあるのかな、と誰かが口にした〉〈自分たちが生きているあいだにそれが起きるとは思っていなかった〉──。