受験絡みで2月に悲しい事件が2つ起きた。自殺と殺人未遂である。なぜこのようなことが起きてしまうのか、どうすればいいのか。コラムニストのオバタカズユキ氏が受験に疲れた人に提案する。
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中学入試、高校入試が終わり、大学も国公立の入学試験を残すのみとなった。この時期、志望校に合格した子供たちは、その喜びを十分に味わうことで、一生モノの成功体験を血肉にすればいい。
望みがかなわなかった子供たちにとっては、今が現実の厳しさと敗北の苦さを噛みしめる時だ。それらをしっかり咀嚼すれば、これからの長い人生で最も重要なタフネスを身につけることができる。きれい事のように聞こえるかもしれないが、失敗体験、挫折体験は、人間を大きく深く育てる何よりの肥やしとなりえる。
だから、受験はバカにできないし、やるならとことん本気で臨むべきなのだ。近年は、安全志向が高まり、背伸びをせずに受かりそうなところを受けて受かってそこに入る傾向が強いのだけれども、それはもったいない話なのである。
合否がどうなろうと、受験は成長の機会と捉えて、存分に活用したいものである。力を出し切った結果ならば、合格校がたとえ滑り止めであろうが堂々と進学すればよく、まだまだ力を出せそうなら、大学受験の場合、志望校の再チャレンジで浪人の道も普通に検討するといい。家計的に苦しければ、受験生自身がアルバイトしながら勉強を続けるのもありなのだ。
少々古めかしいかもしれないが、受験に関しては、ざっくり以上のようなスタンスが基本だと思っている。ただし、繰り返すが、受験は成長の機会だ。成長するための方法、道具、仕組みであって、その結果で人生が決まるわけではない。ましてや、受験の合否が幸不幸を決定づけるのではない。それは常識の範疇だ。
だが、その常識が分らなくなるところに受験のワナがある。受験勉強に本気で取り組むほど、受験自体が目的化してしまい、合不合が終着点のように思えてきてしまう。受かれば天国、落ちたら地獄という白黒思考に陥りがちなのである。
今期の受験シーズン中に、報道された二つの事件は、ワナに嵌まってしまった最悪例だ。
まず、2月16日に、「めった刺し事件」が発生してしまった。滋賀県の県立高校3年生男子が受験の失敗で腹を立て、11歳の弟を包丁で襲い、自分の腹部も包丁で刺したという。2人とも命に別状はなかったが、弟の腹部や背中には約30ヶ所の刺し傷や切り傷があったとそうだから、凄惨な現場状況だ。殺人未遂の容疑で逮捕された高校3年生は、殺意を否定している。なにがなぜどう起きたかについては、続報を待ちだが、志望校に落ちて絶望し、自暴自棄になったのだろう。
さらに、2月18日の夜、神奈川県の相模原市で、中学3年生の男子と47歳の母親が亡くなった。男子の首にはひものような物で締められた跡があり、母親は首を吊っていた。高校受験を苦にした母子の心中事件だとみられている。母親はそうとう教育熱心だったらしい。志望していた県立高校の入試の出来が悪かったとのことだが、合格発表はまだ先だった。また、第2志望の私立高校はすでに合格済み。なのに、なぜ心中してしまったのか、常識的には理解に苦しむが、この母子も極端な白黒思考に陥っていた気がする。
めった刺しに心中。受験を苦にした自殺は毎年二桁の数で起きている。だが、ここまで派手な殺人(未遂)事件が続くことは珍しい。安全志向が高まっている受験界全体の傾向とは正反対の極端な暴走のし方だ。