今クールのなかでもとりわけ賛否両論が渦巻く作品、ということになるだろう。注目の月9に関して、作家で五感生活研究所代表の山下柚実氏が指摘する。
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フジテレビ話題の月9ドラマ『いつかこの恋を思い出して泣いてしまう』。今をときめく有村架純と高良健吾が主役をつとめる純愛ドラマということでスタート前から注目を集め、私自身も大いに期待していた。
物語が始まり、すでに折り返し地点にさしかかっている。「ハマる人はハマる傑作」という評判も耳にするけれど、残念ながら私の中には違和感ばかりが積み重なってきて困っている。
この違和感、いったいどこから来ているのだろう? 以下の3つの「違和」について、考えてみた。
◆1つ目の違和──ネガティブを描くことで、主人公の正しさや清らかさを示そうとしている?
主人公の練(高良健吾)は物語の前半、地方から上京し、引っ越し業者として働く。引っ越しの現場で盗みを働こうとするような、すさんだ職員がいる会社で。練はそうした職員からいじめられ虐げられ続けるが、酷い状況下で働き続ける。
もう一人の主人公、音(有村架純)の環境も似ている。上京し就いた仕事は長時間労働を強いるブラックな介護現場。夜勤続き、パラハラなど過酷な労働現場に、しかし音はけなげに通い続ける。
きつい、酷い、厳しい、悲しいといったネガティブな側面をドラマは強調する。昔のラブストーリーが、キラキラと輝く光の面に力を入れていたとすれば、このドラマは都会の貧困、生きる厳しさ辛さといった負の面に力を入れて描く。
繰り返しいじめられ、言葉の暴力でいたぶられる練。そんな過酷な労働現場に通い続ける理由とは何なのか。アルバイトなら、いったん辞めて他の職場を選ぶこともできるのでは。少なくとも転職という選択肢について考えないのか……と、次々に吹き出してくる疑問。そうした疑問についてきちんと納得させてくれる要素を、このドラマは十分に提供してくれない。二人はゆがんだ労働現場の要求を受け入れ、苦しい日々は延々と続いていく。
私も様々な介護現場に取材で足を運んできたし、ボランティアで今も関わっている。もちろん現実にはブラックな職場も存在しているし、そうでない介護現場もある。では、物語の設定と描き方としては、どうなのだろうか。
「周囲を徹底的にネガティブに描くこと」によって、主人公の正しさや真面目さ、清らかさを際立たせる手法は、もはやこの複雑な時代のリアルを描き出す人間ドラマの手法として少し単純ではないだろうか?
社会や企業が悪い。大都会・東京が悪い。だから主人公たちは苦労させられ、本来持っていたはずのピュアな心根もそのせいで折れたり消え入りそうになる……といった設定に、どこか無理はないだろうか?
ドラマの根底に、「もしこの社会でなかったら、もしこの環境でなかったら、彼らはもっと幸せなのに。もっと純粋に愛しあえたのに」といった否定的なイデオロギーを感じてしまう。
「悪いのは彼らではなく世の中の方」という単純なマイナス志向の発想を、ニーチェなら「ルサンチマン(恨みの感情)」と呼ぶだろう。否定的なシーンが続くと、滅入る。積極的に見続けようという気力が萎えてしまう。