医療の進歩により長く生きるのがあたり前となりつつある現代。一方で、終末期の患者からは、延命で苦しむよりも早く逝きたい、といった声も聞かれるようになった。日本では法的に認められていない「安楽死」は、人間の「生」にとってどのような意味を持つのか。『SAPIO』(2016年4月号)に全6ページ掲載された、安楽死の「瞬間」に立ち会ったジャーナリスト・ 宮下洋一氏による真実の記録から、冒頭の部分をお届けする。
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「ドリス、用意はできていますか」
「ええ……」
突如、英国人の老婦の青い瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。右手に握っていたくしゃくしゃになったティッシュで目元を拭い、震えながらも振り絞った声で、次にはこう囁いた。
「うう、ごめんなさい。こうなることは前々から分かっていたというのに」
仰向けになった老婦に、プライシック女医が、「大丈夫よ」と微笑み、質問を始めた。
「名前と生年月日を教えてください」
「ドリス・ハーツ(仮名)、1934年4月12日」
「あなたはなぜ、ここにやって来たのですか」
「昨年、がんが見つかりました。私は、この先、検査と薬漬けの生活を望んでいないからです」
「検査を望まないのは、あなたがこれまで人生を精一杯謳歌してきたからですか」
「ええ、私の人生は最高でした。望み通りの人生を過ごしてきたわ。思い通りに生きられなくなったら、その時が私にとっての節目だって考えてきたの」
「私はあなたに点滴の針を入れ、ストッパーのロールを付けました。あなたがそのロールを開くことで、何が起こるか分かっていますか」
「はい、私は死ぬのです」
「ドリス、心の用意ができたら、いつ開けても構いませんよ」