【著者に訊け】角田光代氏/『坂の途中の家』/朝日新聞出版/1600円+税
〈都内に住む三十代の女性が、水のたまった浴槽に八カ月になる長女を落とした。帰宅した夫がそれを見つけ救急車を呼び病院に長女を搬送したが、長女はすでに死亡していた。女性が「泣き止まないのでどうしていいかわからなくなり、落としてしまった」と、事故ではなく故意にやったことだと容疑を認めたために殺人罪の疑いで逮捕された〉
彼女はなぜ、娘を殺したのか。『坂の途中の家』の主人公の里沙子は、新聞で読むだけだった、水穂という同世代の女性が起こした虐待事件に思いがけずかかわることになる。この事件の裁判の補充裁判員に選ばれたためで、もうすぐ三歳になる娘を育てている専業主婦の彼女は、毎日法廷に通い、周囲の人物のさまざまな証言を聞くうちに、追い詰められていった水穂の境遇に自分を重ねていく。
妊娠中に夫陽一郎の携帯メールを盗み読んだことや、生まれたわが子にしてしまった〈思い出したくないこと〉の記憶を呼び覚まされた里沙子は、陽一郎のささいなひとこと、裁判中、娘を預かってくれている義母の手助けにも神経をとがらせる。自身の心の内をのぞきこんだ里沙子は次第に平衡を失っていく。はたして彼女の生活は、〈裁判が終われば、何もかも元通りになるのだろうか〉──。
〈法律なんて何も知らない。裁判がどんなものかも知らない。それに事件になんてかかわりたくない〉
公判前に里沙子が抱いた思いは、ほとんどの人が共有しているものだろう。二〇〇九年に裁判員制度が始まったことは知っていても、実際にどういうものか経験した人はまだ少ないはずだ。
「もともと私は裁判に興味があって、ノンフィクションの形で公刊された記録を何冊か、自分の興味として読んでいました。言葉のやりとりで進めていくものなのに、人によって言うことが違ったり、相手の受け止め方も変わったり、印象に左右されてしまうのが面白くて、そういう多重性みたいなことを小説で書けないかな、と思ったんですね」
裁判員に選ばれた主人公がのめりこんで聞き、感情移入することで裁判の意味が変わっていくとしたらと考えて、おのずと子供の虐待死を書くことになった。週刊誌で連載が始まったのは二〇一一年で、裁判員制度が始まって、まだそれほど時間がたっていない時期だった。
「裁判員裁判とは何かのマニュアルを読むことから始めて、弁護士や司法担当の新聞記者に話を聞いたし、傍聴にも行きましたね。手続きを理解するのは大変でしたけど、裁判自体は裁判員制度ができてからすごく変わったそうです。弁護士の人なんか、身振り手振り、やさしい言葉でお芝居のようにわかりやすく話してくれるので、流れをつかむのは思ったほどは難しくはなかったです」
裁判員裁判がどんなふうに進むのか、本作を読むと、すんなり頭に入ってくる。候補者名簿に名前が載るところから始まって、公判前に数十人単位で集められ、その中から選ばれた補充を含めて八人の裁判員が、連日法廷に通い公判に臨む。