「それって昭和っぽいよね」とよく口にする人の意識の奥底にあるものは何か。コラニスト・オバタカズユキ氏が斬る。
* * *
流行語というのとは違うのだが、最近、以前にも増して「昭和」という言葉をよく耳にし、また投げかけられるようになった気がする。
仕事の打ち合わせで、自分が駆け出しの頃の雑誌づくりについて話していると、「さすが、昭和のやり方ですねー」と言われることがある。
飲み屋で隣り合わせた同年輩とピンクレディーについて雑談していると、入店してきた常連から「お、ココは昭和ですねえ」と言われたこともある。
私ではないが友人の女性がグループ旅行に大き目のルイ・ヴィトンの鞄を持っていったら、「昭和な感じで素敵」と言われたそうである。
言われた側には、「えっ、それって、褒められてるの、バカにされてるの、いったいどっち?」と判別のつきにくい場合が多い。言っている側も、明らかにからかってそう口にするケースは稀で、かといって「昭和ビバ!」と全面支持しているわけでもなさそうだ。
彼らの真意を忖度するに、たとえば、「さすが、平成のやり方ですねー」「ココは平成ですねえ」「平成な感じで素敵」という言い方はしないから、ノスタルジックな感情を「昭和」に託していることは確かなのだろう。古き良き時代の昭和、みたいな。オールウェイズ三丁目の夕日ですよね、みたいな。
けれども、西岸良平のマンガ『三丁目の夕日』、の舞台設定は昭和33年だ。だから、その映画『ALWAYS三丁目の夕日』がヒットした平成17年頃は、昭和ブームではなく、昭和30年代ブームが巻き起こっていたわけで、人びとは現に、「それ、昭和30年代的だよね」と言っていた。古き良き時代への賞賛だけじゃなく、実は、貧困と犯罪に満ち溢れた暗黒の時代だったんだという指摘も含めて、たくさんの日本人たちが「昭和30年代」についてのあれこれを語っていた。
その後も、しばらくの間は、「昭和30年代」がメイン、そこから派生した「昭和40年代」や「昭和50年代」語りもよくされていた。「昭和〇〇年代」は、時代論や世代論などをする際に用いられた枠組みの一種であり、語る者たちは自分の体験や知識を総動員して、昔話を楽しんでいた。
それに比べ、昨今の「昭和」には、学も論もない。だって、前記した例で言えば、ピンクレディーの全盛期は昭和50年代前半であり、ルイ・ヴィトンの鞄などのブランドモノを猫も杓子もぶらさげていたのは昭和50年代後半から昭和60年代にかけてだ。〈自分が駆け出しの頃の雑誌づくり〉にいたっては、私は1989年から今の仕事をしているので、平成初頭のお話である。それらを全部一緒くたに「昭和」で片づけるのだから、かなり乱暴なもの言いなのだ。
テレビを見ていると、食レポタレントが、あっさり醤油味スープのラーメンをすすって「懐かしい昭和の味ですねえ」と言う。昭和時代は、味噌ラーメンも博多ラーメンも喜多方ラーメンもブームになったのだから、「これぞ東京ラーメンという優しい味ですねえ」くらいのコメントにしてほしい。レトロを売っている店ならともかく、東京ラーメンが旨いと思うから東京ラーメンを作り続けている店主の仕事に対して、過去の遺産扱いで「昭和」呼ばわりするのは失礼である。
商店街を歩いていると、「昭和の香りが残る街」といったキャッチフレーズがそこらに掲げられていて、商店街が自ら「昭和」自慢していることもある。そういう商店街を散策する若い人が、いまふうのカフェで「昭和な感じがいいよね」とかほざいているのを聞くと、軽く殺気を覚える。それを言うなら三軒隣りの朽ちかけた「喫茶店」での実感を述べてくれ。