今なお日本には、女性もしくは男性に限って立ち入ることのできない聖域がある。「女人禁制」「男子禁制」と呼ばれる文化的伝統ではあるが、現代においては「性差別」とのそしりを受けることもある。こういったタブーはなぜ生まれたのか? 慶應義塾大学名誉教授の鈴木正崇氏が解説する。
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女人禁制は、狭義には信仰に関わる慣行で、女性に対して寺社や山岳の霊地、祭場への立ち入りを禁じ、女性の参拝や修行を拒否することであり、山の境界は女人結界と呼ばれた。
女人禁制の歴史は古く、いわれも複雑だが、大きく分けて次の3つの要因を挙げることができよう。
1つ目は、男性の修行の妨げになるからという禁欲主義に基づく考え方である。古来山は信仰の対象であり、畏怖の念をもって拝むことが通常で、山頂に登ることは禁忌であった。日本の山岳信仰と仏教の山岳修行が融合して修験道(*1)が普及すると、山は神聖な場所であると同時に厳しい修行の舞台になる。その修行の場から、性的な欲望を掻き立てる存在としての女性を排除しようと考えたのだ。
【*1/山を歩くなどして霊力を身に付けようとする実践のこと】
2つ目は、「穢れ」という概念に関わる。穢れ(不浄)とは、程度の差こそあれ多くの文化で世界的に見られる観念であり、穢れたものに触れると穢れは伝染するとされている。
日本では穢れには死を意味する黒不浄、出産を表す白不浄、経血を表す赤不浄の3種類が存在するといわれる。そのうち特に女性は血の穢れである白不浄と赤不浄の2つと切り離せないことから、女性が不浄とされた。こうした穢れや不浄の問題は極めてデリケートな問題であるが、血の穢れを重視する『血盆経』(*2)が室町時代以降に普及して禁忌が強められた。
【*2/仏教の経典の一つ】