影を潜めていたトップがカメラの前に現われたことは、何らかの合図なのか。メディアを駆使する現代ヤクザの抗争は、新たなステージに突入した。フリーライターの鈴木智彦氏がレポートする。
* * *
3月17日、神戸市篠原本町にある山口組総本部でタクシーを降りた。海を背にして、ひたすら急勾配を歩く。この坂を登り切った場所に、山口組歴代組長の墓所がある。わざわざ歩いたのは、道筋に怪しい人間がいないか確認したかったからだ。
20分ほどで霊園の入口に到着すると、さらに急勾配が10分ほど続く。息が切れ、心臓が限界まで鼓動する。
「おお、ハイエナ。やっと到着か」
直参組長にからかわれても、息が上がって声が出ない。辺りを見回すと、常連の実話誌組に普段は見かけないテレビ局や新聞社が加わり、お祭り騒ぎだった。マスコミの狙いは言うまでもない。
参列が予想される六代目山口組トップ・司忍組長の表情を読み取ることだ。山口組分裂がどのタイミングで爆発するか、もはや誰も読みきれない。この日の朝方も、大阪・堺市の山口組系事務所に軽自動車が突っ込んでいた。前週に新宿歌舞伎町で予定されていた神戸山口組系の幹部会は、警視庁が一触即発を必要以上に喧伝した末、中止となっていた。
戒厳令下の山口組墓参──。霊園にもマル暴の刑事をはじめ、警察関係者が40人以上詰めかけていた。ほぼ全員が白い防弾チョッキを着用しており物々しい。規則で定められているのだろうか、ネクタイの上から防弾チョッキを着込んでいる。ただし、丈が短いタイプなので腹部は丸出しだ。
暴力団員たちは自らの経験則によって、腹部を覆うロング丈を使用する。もみ合って銃撃されたとき、腹部に命中した一発が致命傷になりかねないからで、この点は暴力団側が先進的だ。
マスコミには女性スタッフも3人ばかりいた。ヤクザと警察の中では、おとなしくしていてもかなり目立つ。女性記者は直参組長から話しかけられていた。
「わしも読者やで。その気ならインタンビュー応じたるわ。あっち(神戸山口組側)に呼ばれて、パチパチ写真撮って、適当なこと書いてるみたいやけども、電車乗る時は気をつけや。誰に突き落とされるかわからんで」
文章にするとほぼ脅迫でも、当事者にその意識がないのは保証する。山一抗争(※注)の際、取材に来た女性記者を見つけた竹中正久四代目組長が、「一緒にホテルに行くなら(情報を)教えてやる」とからかっていたが、この程度は親愛の情の範疇なのだ。
【※注/1984年、竹中正久組長が四代目を襲名したことに反発した反竹中派が「一和会」を結成。竹中組長は一和会に殺害されたが、山口組の報復が激化。1989年の一和会解散まで双方で25人の死者を出した】