『いただきます』『ごきげんよう』と31年半にわたり、フジテレビの午後1時台を守ってきた小堺一機が3月31日の放送を最後に去る。1984年10月開始の『いただきます』は浦辺粂子や小森和子、塩沢ときなどの“おばさま方”が自由闊達に喋り、人気を博した。1991年からは『ごきげんよう』に改題。当初は1人のゲストにじっくり話を聞くスタイルだったが、スタートから8か月後に、放送終了まで続く名物企画『サイコロトーク』が誕生した。
出たサイコロの目によってトーク内容を変えるスタイルが話題を呼び、「何が出るかな、何が出るかな?」という小堺の名調子は広く世間に知れ渡るところとなった。サイコロトークは時代の波に押されることなく、1991年開始から25年間も形を変えずに続けられた。芸能記者が話す。
「2000年代に入ってからのバラエティ界では、ひな壇番組が隆盛を誇りました。その時代の流れのなかで、1人でじっくり喋るスタイルの『ごきげんよう』の存在感は増していったと思います。当時、ゲストの3人は3日間出演し、最低でも3回もフリートークの持ち時間が与えられた。この番組スタイルはありそうで、なかなかない。
ひな壇番組だと持ち味を出せなくても、1人で喋ったら面白いタレントというのも存在します。そのような人にスポットを当てる貴重な番組であり、『ごきげんよう』をきっかけにマルシアや磯野貴理子などが人気者への道を歩んでいきました」
番組を語る上で、小堺の“聞く力”は見逃せない。テレビ局関係者が話す。
「サイコロトークでの小堺さんは優しく、じっくり話を聞き、ゲストが困ったら笑いに変える卓越した技術を持っており、タレントも安心して喋れた。どうしても自分が目立ってしまいたくなるはずなのに、小堺さんは相手を引き立てることを常に考えていました」