──著者は、朝日新聞などのリベラル系メディアは何十年も前から、ことあるごとに「この法案が通ったら日本の民主主義は死に、戦争が始まる」と煽ってきた「オオカミ少年だ」と批判していますね。
古谷:それに関連して、著者が触れていないことを指摘すれば、リベラルは「安倍は戦争をやりたがっている」と批判する割には自衛隊の装備など軍事知識に疎すぎです。例えば1998年に「おおすみ型」輸送艦が就役したとき、見た目が全通甲板(甲板が艦首から艦尾まで平らであること)だから、すわ「空母だ」と言い立て、「侵略の準備だ」などと騒ぎました。
しかし、甲板に耐熱処理を施しておらず固定翼機の離着陸は不可能です。格納できるLCAC(エアクッション艇)も2隻だけで、その定員は五十人程度。一個小隊程度の人数でどうやって他国を侵略するのか。日本は戦略爆撃機も原潜も中距離弾道弾も保有していません。F-35の調達も予定通り行くかどうか……。装備を仔細に検討すれば、専守防衛すら危ういというのが僕の考えです。
また、社民党は一昨年、「あの日から、パパは帰ってこなかった」という赤紙を連想させるポスターを作って集団的自衛権に反対しましたが、先進国の潮流は徴兵廃止です。リベラルはいまだに70年前に終わった日米戦争を想定しているようですが、今後あんな総力戦を日本が戦うことはあり得ません。現代戦の主役はドローン(無人機)とサイバー空間です。反戦を唱えるなら、もっと現代戦を研究し、それを抑止するためにはどうするかを考えるべきでしょう。
──著者は本書の最後のほうで〈リベラル派が「言葉への信頼」を腐らせている現状〉を指摘したい、と述べています。
古谷:リベラルはよく「安倍はヒトラーだ」と言いますが、成蹊学園から内部進学した温和な安倍さんは、良くも悪くもヒトラーほどの大物ではない。僕からするとヘスやボルマンですらない。そうやってすぐ「ヒトラー」を多用し、言葉をインフレさせるので、言葉の信頼性がなくなるのです。
──著者の姿勢に共感できなかった部分とは?
古谷:著者は最初のほうで「楽しさを強調し、敷居を低くしないと人が集まらないデモではダメだ」と批判していますが、奥田さんたちはそんなことを言われなくても承知のはずです。また、奥田さんたちのデモには勝つための戦略がないと批判していますが、負けると分かりつつも気持ちを抑えきれないという……まあパッションとでも言いましょうか。それが周囲に伝わり、あそこまでの広がりを持ったと思います。「勝つための最強メソッドを俺は知っている」と言われても虚しいです。
僕は自分の著書の中で奥田さんと対談したことがあるので余計に思いますが、彼は中学で不登校になり、全寮制のキリスト教系高校に進み、震災のときには被災者を支援し、映画を制作するなど「才能豊かな変人」です。僕と政治的立場は違いますが、彼のように既存の常識の枠外にいる人を僕は評価します。著者はそうした人を突き放していますが、それは寛容さに欠けるのではないかと感じました。
※SAPIO2016年5月号