俳優・風間杜夫(66)は9歳のときに子役でデビューした。テレビや映画、雑誌『冒険王』の表紙モデルなどで活躍したものの、「俳優を一生の仕事にするなら、子役の仕事はやめたほうがいい」との俳優・米倉斉加年からの助言もあって、少年は芸能界から一時離れる。
「小学校5年くらいまでは学校に行けないほど忙しかったんですけど、6年生になった頃から仕事が減ってきて、それを寂しがる気持ちがあった。あいつは売れているのに俺には仕事がこない、みたいな(笑い)。子ども心にこの感情はヤバイな、いったんやめたほうがいいなと思ったんです」(風間。以下「」内同)
その後、早稲田大学に進んだ風間は、「自由舞台」に入団、演劇活動を再開。そして、いまも師と仰ぐつかこうへいと出会う。1977年、平田満、三浦洋一らと共演した『戦争で死ねなかったお父さんのために』で、喜怒哀楽の激しいヒステリックなキャラクターであるディープ山崎役を演じきった風間は、一気にブレイクした。
「狂気の風間というか、エキセントリック・ハイテンションという色を、つかさんにつくってもらった。殻を破ってくれ、僕の中にあるいろんなものをあの人が引き出してくれた。本気度を引っ張り出すというか。でも僕の中には、つかさんへの反発もあって、当時は、木刀を持って、あの人を殴り殺した夢を何度も見ていたんです(笑い)」
つか劇団のスターとなった風間の名は、1982年公開の映画『蒲田行進曲』で一気に広まり、さらに1983年のドラマ『スチュワーデス物語』(TBS系)の教官役でお茶の間にも浸透。ほどなく映画やドラマに欠かせない役者となった。
だが、風間がいまも昔も自身の仕事の軸に置いているのは、毎年欠かさず3本、4本とやり続ける舞台だ。
「映像の仕事も嫌いではないんですが、掛け持ちというのが嫌で。僕は怠け者ですから、朝6時に起きてテレビをこなして、劇場に入って、そのあとまた撮影なんてことはできない。人間そんなにね、緊張して一日生きられないですよ(笑い)。舞台は、舞台の時間だけきちっとやっていればいい。僕にとっては、一番健康的なんです」
風間は現在、岩松了・作演出の舞台『家庭内失踪』に出演し、全国28公演をこなしている。小泉今日子演じる妻との間に生まれる倦怠を描いた作品だ。舞台に立つ喜びを風間は隠さない。