漫画家・さいとう・たかを(79)が座る仕事部屋の机の真上に、まるで部屋の中を睥睨するかのように、亡き母の肖像写真が鎮座している。
「おふくろは私が子供の頃から絵を描くことに反対で、落書きを見つけては燃やし、展覧会で金賞を取った絵もかまどに放り込みましたよ。親父が絵描きや彫刻家や写真家の“なりそこない”だったんです。しかも病気といわれるほどの女好きで、ほとんど家にいなかった。だから、男が絵なんか描いて飯を食えるかっていっていました」
さいとうが1955年に19歳でデビューしたとき、ガンのために今日とも明日とも知れぬ命だった母の枕元に処女作の本を置いたが、ついぞ見向きもしてくれなかった。その頃から母の肖像写真を仕事部屋に飾っている。認めてくれ、という思いなのだろうか。
『ゴルゴ13』や『鬼平犯科帳』などで知られるさいとうは、昨年、画業60周年を迎えた。4月28日には『娼婦ナオミ夜話』(1972年作)の復刻版も刊行される。手塚治虫が確立したストーリー漫画の黎明期にデビューし、その中から劇画という未踏のジャンルを切り開いた斯界の大御所である。しかも、いまだにバリバリの現役だ。
その長寿の秘訣は何なのか。
さいとうがこの世界に入ったときから人一倍強く意識していたのは、漫画を、母が口癖のようにいっていた「男の職業」として成立させることだった。さいとうの制作手法として有名になった「分業制」も、そのために導入したものだ。漫画を「紙の上の映画」と定義し、映画同様に漫画でも、ドラマを考える才能、絵を描く才能など様々な才能が結集すれば、すべてを一人でこなすより優れた作品ができるはずだ、と考えたのである。
その分業制は、後に『ゴルゴ13』で10人以上がスタッフリストに名を連ねるほどシステム化された。さいとうはその集団を率い、構成、主人公の作画、最終的なチェックなど中核的な作業を担っている。他の漫画では考えられないため、「さいとう・たかをはゴルゴの目しか描いていない」という都市伝説が生まれたほど。