前作が大好評であったゆえに比較されるのは仕方ないだろう。作家で五感生活研究所代表の山下柚実氏がNHKの朝ドラについて指摘する。
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NHK朝の連続テレビ小説『とと姉ちゃん』は視聴率を見ると好調な滑り出し。1週目、2週目とも放送された回はすべて20%を超えたとか。冒頭の子役たちや父(西島秀俊)も注目も集め、宇多田ヒカルの主題歌が耳に心地よく響く。
スタートからまだ1か月にもならない。未知の楽しみもたくさんあるから、即断はしたくない。ただ一つだけ、気になってしまう点がある。それは、短い期間にやたら「事件」が多発していることだ。
よっぱらった闖入者が絵を置き忘れる。その絵に幼い姉妹が落書き。あとから贋作とわかって一件落着。親戚である闖入者が、家族の米を勝手に食い尽くす。困った家族は運動会の賞品=米を得ようと出場。一位になれなかったが、なぜか米をもらって一件落着。大家が、母・君子(木村多江)に「妾になること」を提案。子どもたちは混乱……。
いずれも同じパターン。「やっかいなことが家族の中に入ってきて、突拍子もない出来事を生む」。それが連発。これから半年間、このパターンが続くかもしれないと思うと、ちょっとつらい。
このドラマを見ていると改めて、「家族の日常」を描くのは難しいことだと考えさせられる。日常の大半は、「何も特別なことが起こらない」時間だから。その中で一人一人の個性を描き出し、夢や意志や優しさ、つらさ、苦闘や矛盾を描き出すためには相当の筆力と哲学がなければならないだろう。
大好評を得た前作『あさが来た』はどうだっただろうか。江戸から明治へと時代が変わり大波乱の時代背景を上手に使いつつ、翻弄される両替商という舞台の上で、時代に影響されつつ生きる家族一人一人の姿を描き分けていった。妙にトリッキーな方法など使わず正攻法で。巧みな筆さばきだった。
一方、『とと姉ちゃん』は、今のところ時代背景や社会的出来事の方はあまり目立たず、家庭・家族内に焦点を合わせている。その日常の中でいかにドラマツルギーを作り出すか。そこに、「出来事主義」が台頭してくるのだろう。思いついたような出来事を挿入し、家族に波紋を起こし結末を作り出す、という手法が。
ところが、そうした手法は多用しすぎれば騒音になる。特に毎朝放送されるNHK朝ドラでは、有効に働かないことはすでに『まれ』や『純と愛』の失敗で証明済みと言えるかもしれない。
もちろん期待もある。『とと姉ちゃん』にはモデルがいる。ヒロイン・小橋常子は戦後の名雑誌『暮しの手帖』創業者・大橋鎭子がモデル。今後、出版社の話になっていければ唐突な出来事主義は減り、ユニークな雑誌を創刊することの苦労や試行錯誤、といった独特の世界を見せてくれるはず。
大丈夫と思いたい。そう期待したい。