例えば「さつま」に話を戻すと、四国では似た料理が平野部でも「さぬきさつま」(香川県)、「冷や汁」「ぼっかけ」(ともに高知県)などの名で親しまれていたというし、瀬戸内を挟んだ山口でも「さつま」、広島で「さつま汁」、岡山でも「さつま味噌」と呼ばれる地域もあった。
いっぽう、九州における大分の位置づけは、少々複雑だ。苗字も九州の他県では比較的少ない「佐藤」「後藤」などが多く、言語圏としても関西や四国の言葉の影響が強いと言われる。実際、大分県出身者も「言葉のイントネーションや名前は、九州の他県とは違うとよく言われるし、『大分は九州じゃない』と揶揄されることも。まあ、こっちも冗談交じりに『陸の孤島、宮崎が何を言う』とやり返すんですけどね(笑)」(41歳・男性)という。
北は福岡県との間に「九州の屋根」「九州アルプス」とも言われる、くじゅう連山があり、南は宮崎県、熊本県との県境に「秘境」とまで言われる祖母連山がある。遥か彼方からやってきた出自不明な食に、「薩摩」「日向」「琉球」といったイメージを投影する。いつしか呼称も含めて定着したその料理が、近隣には”正しく”伝播していく。
例えば、長崎のトルコライス、大衆中華料理店で見かける天津丼、もちろんナポリタンも。本国にはない。愛媛の「さつま」「ひゅうが」にはまだ日本の交通網が海路頼りだった頃の大分と九州他県、そして愛媛などの瀬戸内文化と大分との距離感が見て取れる。