郷土料理には、かつての文化交流の名残がある。食文化に詳しい編集・ライターの松浦達也氏はそれを「食の伝言ゲーム」と呼ぶ。
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「さつま」と言っても鹿児島の話ではない。「ひゅうが」と言っても宮崎の日向地域の話でもない。どちらも、愛媛の食べ物の話だ。まずそれぞれどんなものかを説明しておこう。約100年前の各都道府県の食習慣を記した『聞き書 愛媛の食』(農文協)にも複数の記述がある。
最初に「さつま(汁)」から。「新鮮な焼き魚と麦味噌をすり合わせた汁を、麦飯にぶっかけた南伊予一般の手軽な食事」(『聞き書 愛媛の食』(農文協))とあり、愛媛県で広く食べられていたことが伺える。先日、都内で行われた愛媛県西予市の食を紹介するイベントでも供されていた。現在、宮崎名物として知られる「冷や汁」にも似た料理だ。
もっとも実は冷や汁自体は九州の各県にも似たようなメニューがある。とりわけ鹿児島県、つまり「さつま」には、離島を除くほぼ全域で冷や汁様の料理があったという記述がある。
いっぽう「ひゅうが(飯)」は「新鮮な刺身を醤油にひたし、卵や薬味ととり合わせて飯にかけて食べる」とある。現在は単品で提供する飲食店もあるが、元はこちらもぶっかけめし。また、地域によっては卵ではなく「熱いお茶をかけ、ふたをする。5~6分すると刺身が半分煮えて白くなる。これを食べる」という現在の鯛茶漬けにも似た、刺身茶漬けのようなレシピもある。
そして実はこの料理は、豊後水道をはさんだ九州・大分にもある。しかし「さつま」「ひゅうが」ともその呼称が確認できるのは九州では大分のみ(「ひゅうが」と似た料理を「りゅうきゅう」と呼ぶ地域もある)。なぜ大分のみに、九州の他地域の名前をそのままつけた料理が伝承されているのか。
現在、全国を8つにわけた地方区分は明治の廃藩置県以降の区分が土台になっている。だが歴史上では瀬戸内、特に西部はひとつの海洋文化圏だったと言われている。実際、瀬戸内海は日本列島にとって重要な海路であり、大分は瀬戸内海を通じて、河内や摂津といった畿内への交通網における要衝でもあった。