また本作にはもう1人、元賄い係兼隊士の沢忠輔も登場させました。維新後は新政府の軍事顧問ジュ・ブスケに仕えている彼は、麻布鳥居坂の屋敷に酒や牛肉を手に通う安富の部下に昔話を語る、要は狂言回しですね。
特に明治期、賊軍である新選組の物語は専ら口承で残り、後に講談や小説になるなど、語られし新選組という側面がある。尤も私は単に新選組を名調子で語らせたかったんです。それが物語の原型と言えば恰好はいいが、新選組が京都や箱館で何をしたかを長々説明するより、元隊士のジイサマが酔って語る方が愉快だし、相馬と安富の60cmの違いも、小説の神様という名の思いつきです。
ただし、その思いつきに至るには史料を山ほど読み、当時の街並みや風俗も極力正確に再現しました。それこそ神は細部に宿ると言いますし、今の小説がストーリーや映像化重視に傾く中、時代に翻弄された小さき者の悲哀や男女の情を、せめて私は筋に収斂できない世界に書いていきたい。まあ、老い先短いジジイの繰り言ですが(笑い)。
●山本音也(やまもと・おとや):1982年「宴会」で中央公論新人賞、1983年「退屈まつり」で芥川賞候補。休筆期間を経て、2002年『ひとは化けもんわれも化けもん』で第9回松本清張賞受賞。著書に『抱き桜』『四十一人の仇討ち』『夜明けの舟』など。本作は10年ぶりの作品となる
※週刊ポスト2016年5月6・13日号