【自著を語る】山本音也氏/『本懐に候』/小学館/本体1700円+税
新選組終焉の地・箱館で、土方歳三の最期を看取った、最後の隊長こと相馬主計と、元隊士・安富才助。新政府軍の砲撃で相馬は左腕、安富は左の指4本を失い、それぞれ新島と八丈島に流された彼らは、そのあともなお明治の世を生き抜かなければならなかった。
山本音也著『本懐に候』は、この2人の生涯を軸に、時代のうねりを具に描いた実に10年ぶりの新作長編だ。人間生き残った以上は食っていかねばならず、なおも燻る志とままならない身体を持て余す彼らの命運を、何が分けたのか──。答えはそう、「60cm」にあった!?
* * *
私は信長や家康といった大物に昔から興味が持てなくて、どちらかというと勝者よりも敗者に惹かれた。だから、新選組でも相馬や安富のような地味な存在を書くことになる(笑い)。
隊士録を読み漁り、土方の後任の相馬が新島に流され、最期は蔵前の貧乏長屋で切腹したという記述から、安富も八丈島に流された設定にしましたが、実際はわかりませんよ。安富は御一新後、近藤勇襲撃事件の実行犯・阿部十郎に殺害されたとも言われますが、五稜郭陥落後の消息はほぼ不明に近い。つまり虚構が入り込む余地があるわけで、本来小説では虚実はもっと自由でいいはずです。
私は対比と関係の捻れ、そして人生の一瞬の輝きとそれを象徴するキーワード、さらに物語を牽引する謎の5つが、小説には不可欠だと思っています。本書で言えば新島で再起を夢見る相馬と、八丈島に骨を埋めるつもりでいた安富の運命が逆転するというのが捻れ。
中島敦『李陵』や中山義秀『厚物咲』等、2つの対照的な運命の交錯を描く手法は特に新しくない。1人は腕、1人は指を失い、島の娘を伴侶とした相馬と、女を抱こうとしない安富の対比も、よくある構造です。
その2人の命運を分けたのが〈一尺五寸七分〉、つまり60cmの違い。私は当初これを表題にしようと考えた。ただ編集者に反対されてね、何の話か、さっぱりわからないって(笑い)。まあ、何が60cmかは本編に譲るとして、彼ら新選組は志の人でありながら、身体からは意外と自由になれず、金も大いに必要とするというのが、人間の哀しさです。