佐賀空港から車でおよそ30分。田植えを控えた田んぼには水がはられ、近くの牛舎からは牛の鳴き声が聞こえてくる。そんなのどかな場所に彼女の自宅はあった。
記者が到着すると、カーキ色の作務衣姿で玄関まで迎えにきてくれた彼女は身長150cmほど。白髪交じりのグレーのおかっぱのヘアスタイルに、肌つやのいい頬を少し赤く染めていた。
彼女の名前は陣内シヅ子さん。この春、4年前にその門を叩いた、地元・佐賀県立佐賀北高校の通信制を卒業した。そして4月からは、唐津にある洋裁学校に通っている。
…と、ここまでは、なんら特別なプロフィールではないだろう。問題は、彼女の年齢だ。シヅ子さんは昨年12月、73才になった。
そのシヅ子さんは、うれしそうに1枚の写真を見せてくれた。それは、つい先日あった卒業式のワンシーン。高校の正門前に立つ彼女は、卒業証書を持って、若い女性と2人でほほえんでいた。
「これ、孫なんよ。孫は私が2年目の時に、全日制に入ってきよったけん。孫と一緒に卒業したいって気持ちがあったから一生懸命勉強した。そいで一緒に卒業して、それがいちばんうれしかった」(シヅ子さん)
実はシヅ子さんは、1964年、21才の時に一度同校に入学している。4年間在学し、世界史や古典、音楽など46単位を取得したが、1968年に、結婚したことを機に退学を余儀なくされた。実に足かけ52年の春だった。
今や100才以上の人口が6万人を超える長寿大国ニッポン。元気な高齢者が増えているとはいえ、年齢による記憶力や体の衰えがあるなか、なぜ70才を前に同校の門を叩いたのか? また、なぜ叩くことができたのか?
1942年12月8日、シヅ子さんは6人姉妹の四女として佐賀に生まれた。彼女が中学を卒業した当時は、ちょうど高度経済成長期に入った頃。女性が学ぶことは一般的になりつつあり、高校に進学する女性はだいたい2人に1人といった割合になっていた。