女性が参政権を得てから70年。政治は、社会はどう変わったのか。1946年・70年前の選挙では、佐藤きよ子さん(97才)の他、婦人運動家の加藤シヅエさんや後に妻子ある代議士との恋愛が「白亜の恋」と話題になる園田天光光さんら39人の女性議員が誕生している。
39人当選と絶好のスタートを切った女性議員だが、実は1947年の総選挙では15人に激減、その後も女性議員の数は増えずに低迷期が続いた。あれほど喝采と共に迎えられた女性議員たちはなぜ消えたのだろう。『日本の女性議員』(朝日新聞出版)の編著者で上智大学法学部教授の三浦まりさん(48才)は理由をこう分析する。
「選挙制度の改変もあり、生活するのに手いっぱいの女性ほど選挙に出にくくなった。“議員は男”という固定観念も根強く、女性議員の少なさに誰も関心を払わない時代が続きました」
敗戦後の焼け野原から一生懸命働き続け、ふと気がつけば飢えはなくなり、平和な世が訪れていた。それは1946年に女性たちが訴えた政策が達成されたからともいえるだろう。女性たちは家を守ることに幸せを感じ、再び家庭に戻った。
1960年代に入ると、全共闘運動をきっかけにウーマンリブ運動が盛んになった。彼女たちは「女性は男性の奴隷ではない」というスローガンを掲げた。しかし、社会全体を変える大きな動きにまではならなかった。
そして今からちょうど30年前、1986年に男女雇用機会均等法が施行される。その立案責任者で、元労働省キャリア官僚の赤松良子さん(86才)が均等法以前の企業の雰囲気をこう振り返る。
「民間企業を回って聞き取りをしましたが、当時は女性が就職しても数年での退職が慣例で、男性と対等な労働力として扱えば、企業のコストが増えると反発が強かった。ある大企業の社長は、『女に選挙権なんかやるから、歯止めがきかない。差別があるから企業が成り立つ』と公然と口にした。私自身、職場で女性差別を感じて、十二指腸潰瘍を患ったこともあります」
ようやく女性が男性と同じようにキャリアを重ねていける時代が到来したが、女性は仕事か家庭か二者択一を迫られた。結婚したら肩叩きされ、育児と仕事の両立など夢のまた夢。その中で、女性たちは次第に「主婦」と「働く女性」に分断されていく。
女性が再び大きな力を持ったのは、1989年7月の参議院議員選挙だ。この時、社会党の土井たか子党首は「やるっきゃない」とハッパをかけ、12人の女性新人候補者を送り込んだ。きっかけは、金権政治と消費税導入という2つの「金」だった。