ライフ

「世界安楽死を巡る旅」オランダ編その2(全3回)

 ジャーナリスト、宮下洋一氏によるSAPIO連載「世界安楽死を巡る旅 私、死んでもいいですか」。今回はオランダ編だ。オランダは世界で最も早く安楽死を合法化し、その理解も国民の間に浸透しているという。2014年のデータによれば、安楽死の申告数は約5300件に上るともいわれている。世界で最も「死ぬ自由」が定着した国といっていい。認知症を理由に命を絶った79歳男性のケースを報告する。(第2回/全3回)

 * * *
 長男は、ピーテルスマ家の兄弟姉妹4人を集め、家族会議を行った。認知症を罹患したといっても、ステージとしては「軽度」だった。自分の居場所や日付が分からないといった症状はみられたものの、日常生活は難なく送れる。その父親の旅立ちを子供たちは後押しできるのか。1人の妹は、この議論に参加することさえ拒否したが、その他は全員が、父の「頑固な意思」を支持することに同意した。

「父が自死を決意したもうひとつの理由は、彼の母親が同じ認知症で苦しんだ姿を見てきたからなんです。当時は、今のような法律がなく、安楽死できませんでした。父は同じように死にたくないという思いが強かった」

 子供たちが、父の安楽死を受け入れた背景には、頑固な父であるという理由以外にも、自分たちを育ててきた父親独特の考え方が影響していたようだ。

 ハンスは、まだ小学生だった頃に起きた、父親との一件を振り返り、なぜシープが安楽死を選んだのか、彼なりの視点で語ってみせた。

「私は子供時代、父にどうしてもカトリックの学校に通いたいとせがんだことがある。10歳でカトリックから離れ、無神論者になった父は当然反対すると思っていた。けど『俺は反対だ。しかし、お前が本当に望むのであれば、私に反対する権利はない』と言ってくれた。人間はそれぞれ、個人の生き方があるということを父は常々語っていた。だから、父の(安楽死の)決定に口を出せるはずがありませんでした」

 この会話を懐かしむように横で耳をそばだてている母トースは、息子の昔話を聞いて微笑んだ。

 私は、2年半前に未亡人になったこの女性に、「心に残る夫との思い出は何か」と訊いてみる。すると、想像もしない、こんな日常的なエピソードを語り始めた。

「1960年代当時、オランダは、まだまだ男性社会でした。造船業の船大工だった彼は、週末になれば友達と集まって小さな船を造ったり、修理したりしていました。私も一緒に修理を手伝っていると、周りの男性がシープに言うんです。『お前は、嫁に船を造らせるのか』って。すると彼は言い返すんです。『私が頼んだんじゃない。嫁がやりたくて手伝っているんだ。それの何が悪いんだ』って(笑)」

 私はてっきり、海外旅行の思い出とか、初めて船でデートした話などが挙がると思っていた。しかし、トースは、こんな普通の週末の話を持ち出し、それが彼女にとっての思い出だったということが、私には印象的だった。人間案外、こういうものかもしれない。

 さらに、もうひとつの忘れられないエピソードを振り返りながら、再び苦笑する。

関連キーワード

関連記事

トピックス

違法薬物を所持したとして不動産投資会社「レーサム」の創業者で元会長の田中剛容疑者と職業不詳・奥本美穂容疑者(32)が逮捕された(左・Instagramより)
《レーサム創業者が“薬物付け性パーティー”で逮捕》沈黙を破った奥本美穂容疑者が〈今世終了港区BBA〉〈留置所最高〉自虐ネタでインフルエンサー化
NEWSポストセブン
ソロとして音楽活動5周年を迎える香取慎吾
《ソロで音楽活動5周年》香取慎吾が語った「5人とは違って…」「もっとできるはずなのに」ソロで経験した“挫折” ライブツアーでは「パーフェクトビジネスアイドル」としてファンを沸かせる
NEWSポストセブン
13年ぶりの写真集『ふたたび』(双葉社)を5月30日に発売
小向美奈子 Xで「今年結婚します!」投稿の真意を本人に聞いた 今でも「年に1~2回くらいは求婚される」と語る彼女は“ダーリン”との未来予想図をどう描くのか
NEWSポストセブン
《女子バレー解説席に“ロンドン五輪メダル組”の台頭》日の丸を背負った元エース・大林素子に押し寄せる世代交代の波、6年前から「二拠点生活」の現在
《女子バレー解説席に“ロンドン五輪メダル組”の台頭》日の丸を背負った元エース・大林素子に押し寄せる世代交代の波、6年前から「二拠点生活」の現在
NEWSポストセブン
6月3日に亡くなった長嶋茂雄さんとの写真を公開した大谷翔平(公式インスタグラムより)
《さようなら長嶋茂雄さん》大谷翔平から石原裕次郎まで、誰からも愛された“ミスター”の人生をスターたちとの交流で振り返る 
女性セブン
沖縄を訪問される天皇皇后両陛下と長女・愛子さま(2025年6月4日、撮影/田中麻以)
《愛子さま 初めての沖縄ご訪問》ブルーのセットアップで母娘の“おそろい”コーデ再び! 雅子さまはくすみカラーで落ち着いた着こなしに
NEWSポストセブン
人気インフルエンサーがレイプドラッグの被害者に(Instagramより)
《海外の人気インフルエンサーが被害を告発》ワインに“デートレイプドラッグ”が混入…「何度も嘔吐し、意識を失った」「SIMカードが抜き取られていた」【オーストリア】
NEWSポストセブン
大谷翔平(時事通信)と妊娠中の真美子さん(大谷のInstagramより)
《大谷翔平が帰宅直後にSNS投稿》真美子さんが「ゆったりニットの部屋着」に込めた“こだわり”と、義母のサポートを受ける“三世代子育て”の居心地
NEWSポストセブン
『激レアさんを連れてきた。』に出演するオードリー・若林正恭と弘中綾香アナウンサー
「絶対にネタ切れしない」「地上波に流せない人もいる」『激レアさんを連れてきた。』演出・舟橋政宏が明かす「番組を面白くする“唯一の心構え”」【連載・てれびのスキマ「テレビの冒険者たち」】
NEWSポストセブン
「ミスタープロ野球」として広く国民に親しまれた長嶋茂雄さん(時事通信フォト)
《“ミスター”長嶋茂雄さん逝去》次女・三奈が小走りで…看病で見せていた“父娘の絆”「楽しそうにしている父を見るのが私はすごくうれしくて」
NEWSポストセブン
現場には規制線がはられ、物々しい雰囲気だった
《中野区・刃物切りつけ》「ウワーーーーー!!」「殺される、許して!」“ヒゲ面の上裸男”が女性に馬乗りで……近隣住民が目撃した“恐怖の一幕”
NEWSポストセブン
シンガポールの元人気俳優が性被害を与えたとして逮捕された(Instagram/画像はイメージです)
避妊具拒否、ビール持参で、体調不良の15歳少女を襲った…シンガポール元トップ俳優(35)に実刑判決、母親は「初めての相手は、本当に彼女を愛してくれる人であるべきだった」
NEWSポストセブン