【著者に訊け】高山文彦氏/『生き抜け、その日のために 長崎の被差別部落とキリシタン』/解放出版社/2200円+税
国際平和都市長崎を語るには、欠くことのできない3つの要素があったという。「原爆」、「キリシタン迫害」、そして「部落差別」である。
特に後者2つは慶応3年の〈浦上四番崩れ〉など、隠れキリシタン摘発の先兵に部落民が使われた史実が禍根を残し、両者の関係は抉れたまま現代に残された。ある人が言う。〈浦上部落とキリシタン部落は、差別される者どうしやった。それを時の権力は一方を捕り手に仕立て、両者をいがみあわせて、下層民どうしでぶつかりあわせて支配構造を組み立ててきたわけだ〉。
高山文彦著『生き抜け、その日のために』は、この歴史的確執を和解へと導くべく奔走した3人の人物を軸に、長崎の近現代史からキリスト教の伝来と迫害の実相までを追った力作だ。
実はこの「作られた対立」の裏には、語られてこなかったある事実が潜んでいた。〈歴史をありのままに見る目〉を何が曇らせるのか。ことは長崎に限らない。
このタイトルには見覚えがある。高山氏は全国水平社議長・松本治一郎の評伝『水平記』(2005年)の中で、松本が長崎で被爆したある青年に送った手紙に触れ、そこには〈生き抜け、その日のために。松本〉と認められていた。「その日」とは人種や宗教など、あらゆる差別から人類が解放される日を意味するが、この青年こそが本書の主人公の1人、部落解放同盟長崎県連初代委員長・磯本恒信なのだ。
「僕はその青年がどう戦後を生き抜いたのか、ずっと気になっていたんですね。まず長崎県連に協力を仰ぎ、その時『例の和解の件はどうなりました?』という話になった。以前、月刊『部落解放』が長崎のキリシタンと被差別部落の特集を組んでいて、非常に感銘を受けたからです」
その記事に登場するのが、日本二十六聖人記念館初代館長・結城了悟ことディエゴ・バチェコ神父と磯本の従兄で盟友・中尾貫だった。
「それこそかつては殺し合いまでした間柄でしょう? それがなぜ歩み寄れたのか、その和解の行程に俄然興味が移っていったんです」
残念ながら磯本も結城も既にこの世になかったが、著者が同地で集めた証言は、「僕自身、全く知らなかった長崎」を伝えて余りある。
長崎では原爆は〈浦上に落ちた〉という見方が今でも根強いといい、浦上川を望む丘の麓で主に履物業を営んだ旧・浦上町は、長崎にあって長崎ではなかった。原爆投下直後、市街にいた知事は被害程度を〈極メテ軽微〉と報告したが、爆心地に近い浦上は壊滅状態にあり、磯本家でも母と姉が死亡。戦後は開発や町名変更が進み、被差別部落自体、なかったことにされてゆく。
実は長崎に原爆が落とされた時、磯本は中国青島にいた。奨学金を得て同地の国立商業学校に進み、〈決して浦上で生まれたと言うちゃならんとばい〉という母の戒めを胸に刻んだ彼はしかし、組合や反原水爆運動で頭角を現わす中、その戒めを破ることになる。